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指月山のこと

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萩城跡の残る指月山は標高145mの山で、地形図を見てわかる通り北の日本海側はかなり急峻な地形となっている。 地理院地形図より 萩城跡から登ってみる。 2019年10月22日撮影-1 2019年10月22日撮影-2 2019年10月22日撮影-3 2019年10月22日撮影-4  山頂はいきなり城壁?だ。ここまではプチ登山! そして山頂の様子。 2019年10月22日撮影-5 2019年10月22日撮影-6 2019年10月22日撮影-7 2019年10月22日撮影-8 2019年10月22日撮影-9  一番驚いたのは石の切り出しの跡だ。クサビを打ち込んだ巨石が転がっている。ここまでやって途中で切り出しを止めたのだろうか? 2019年10月22日撮影-10 2019年10月22日撮影-11 山頂は雑木のためほとんど見晴らしがきかない。 2019年10月22日撮影-12 2019年10月22日撮影-13  そして下山。 2019年10月22日撮影-14 山頂で切り出した石は萩城の城壁や堀内地区の石垣に使用されてのであろうか?それにしてもものすごい労力を要したはず。 単純に昔の人はすごい。

黄葉直前

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先月も「黄葉前」として書き残したが、未だに紅葉ならぬ「黄葉」が待ち遠しいイチョウの葉。 三隅公民館前の駐車場のイチョウは「オス」であるため銀杏がならない。しかし毎年見事な黄葉っぷりを見せてくれる。 2019年11月05日撮影-1 2019年11月05日撮影-2 上の写真のとおり、あと少しで真黄色になる。これを見ると上のほうから黄色くなっていくのが解かる。太陽光の加減もあるが上のほうが黄色く見える。 2019年11月05日撮影-3 少し西側に離れてみると、イチョウの背景が権現山になる。そしてここにオレンジ色の列車が通過するときに最高の風景となる。 たぶんとっても映えることだろう。 ところで三隅中学校の体育館は何の工事だろうか? 耐震、それとも塗装?

赤間関街道北道筋のこと~その4

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赤間関街道北道筋は正明市より南下し、長門湯本より大寧寺を過ぎると 大寧寺峠 (たいねいじだお)を越える。 今年(2019年)の9月8日に開通した 長門・俵山道路 が工事中であった頃に、ほぼ同一ルートの 廃道化した旧街道 は残していないであろうと勝手に思っていた。様子を伺うためと調査のため大寧寺峠の旧街道を歩いてみた。 地理院地形図 駐車地より県道34号を横断し、旧街道へと左折する。 2019年10月14日撮影-1 2019年10月14日撮影-2 2019年10月14日撮影-3 2019年10月14日撮影-4 2019年10月14日撮影-5 2019年10月14日撮影-6 2019年10月14日撮影-7 2019年10月14日撮影-8 2019年10月14日撮影-9 2019年10月14日撮影-10 2019年10月14日撮影-11 以上からわかるように旧街道は見事に残されていた。 粋な計らいであると思う。 新しいものと古いものが共存しているように感じた。 [後記] 旧街道沿いに各種看板が見られたが、これらは平成24年に「ながと大内湯けむり街道協議会」が旧街道散策を兼ねて設置されたようだ。 先発隊がいらっしゃったわけだ。

冬の野鳥たち

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昼間はまだまだ暖かいが、朝や夜は結構寒い。 今の季節、 モズ が毎日のように家の前で鳴き叫ぶ。その合間を見て ジョウビタキ が「ヒッ! ヒッ!」となわばりを主張しているかのように鳴く。時には ヤマガラ もやってくる。なんて素晴らしい環境だろう。 カメラを手にする頃にはもう居ない。 ハンディカメラのズーム機能でぼけた写真が撮れた。まずは霞んでいた文化の日のジョウビタキ。 2019年11月03日撮影-1 2019年11月03日撮影-2 その2日後の秋晴れの日の同じ場所。 2019年11月05日撮影-1 2019年11月05日撮影-2 上の4枚の写真は同一の ジョウビタキ と思われる。ほぼ同じ場所で同じように鳴いていた。オレンジの羽毛がきれいで小さくてかわいいやつだ。 少し歩いて三隅川を見ると マガモ や オオバン もやってきている。 2019年11月05日撮影-3 2019年11月05日撮影-4 2019年11月05日撮影-5 冬鳥はやってきたが、 サケ がまだ来ない。鵜がたくさん潜っていたが彼らが騒がしいせいでサケが寄り付いて来ないのだろうか? 何とも待ち遠しい。正月よりも待ち遠しい。

赤間関街道北道筋のこと~その3

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萩から赤間関(下関)へ向かう街道の一つ北道筋は、正明市で北浦道筋と別れて深川湯本、俵山へと向かう。 その正明市の分岐点であった四辻には立派な旅館が聳えている。 2019年06月03日撮影-1 2019年06月03日撮影-2 三階建てのこの旅館(吉亀旅館)は風情豊かな立派な旅館で、古くからこの地で営まれていたと思われる。楼閣のような三階の窓より街道を偲んでみたいものだ。 2019年06月03日撮影-3 北浦筋はこの先すぐに美祢線を越して深川川へと向かう。 2019年06月03日撮影-4 この四辻の北側には「正明市下踏切」という山陰本線と美祢線が岐れていく分岐点のような踏切がある。 2019年06月03日撮影-5 これらの鉄道はすべて大正末期に敷かれたものだが、正明市においては赤間関街道に沿って配置されたような格好となっている。 かつての鉄道のないころの街道沿いの風景を見てみたいものだ。

カルスト台地の風景2019

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秋吉台の1枚岩に今年も薄(ススキ)の季節がやってきた。 2019年11月04日撮影-1 2019年11月04日撮影-2 2019年11月04日撮影-3 上の写真の部分拡大 2019年11月04日撮影-4 ドリーネと云うよりは「谷」で実際は圧巻の風景だった。 2019年11月04日撮影-5 ハンディカメラでは実際の壮大なスケール感と色と匂いが残せないので写真はプロに任せておこう。講釈を垂れても駄目だ! とにかく現地に行かないと(歩いてみないと)この美しさはわからない。

赤間関街道北道筋のこと~その2

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萩より奥玉江を抜け、三見市(さんみ・いち)へと続く旧街道は文化庁の登録有形文化財である「 三見橋 」を左に過ごして床並集落へ向かう。 ほぼ現在の国道191号と並走しているが谷が深いため国道からはほとんど確認できない。 地理院地形図より  その三見橋(通称、三見めがね橋)へ国道から入っていく。 2019年09月26日撮影-1 2019年09月26日撮影-2 2019年09月26日撮影-3  見事なアーチ橋だ。 2019年09月26日撮影-4 2019年09月26日撮影-5 2019年09月26日撮影-6 2019年09月26日撮影-7  読みづらいので以下、テキスト化してみた。 三見橋、通称眼鏡橋について 三見橋は、萩市の西部三見床並地区を流れる三見川に架かっている。藩政時代の赤間関街道北道筋の三見地区の経済発展のため、交通の便を向上させる必要があり、これらの難所を改善するため、明治二十三年に県道萩・小串線の鎖板峠三隅七曲間は、交通の難所であったので、当時県議会では、山陰地方の第二十三号仮定県道の改修に着手し、三見村内は同二十六年に完工した。 この時床並梅の木の三見川に架けられた道路橋の土橋を大正三年(1914年)に、径間五十四尺( 16.4 m)の石造のアーチ橋(眼鏡橋)に改築された。 江戸時代、中国より伝来したという石橋としての眼鏡橋は、九州地方には多いが、山口県下では数少ない大型石造の眼鏡橋で、建造年代は新しいがたいへん珍しい橋の一つである。 伝承によると、この橋造りは船で運んできたものを、浦より運び上げ、住民が手間に借りだされた。 石裏の「メジ」には、赤土と石灰を沢山練り詰め込まれた。完成後、アーチ部の木枠を取り外す際にアーチ石が崩れるのではないかと死ぬ覚悟で酒を呑んで作業にあたったとの事。当時では珍しい工法であった事がうかがえる。 県道萩小串線は、旧藩時代から主要幹線の役割を果たしており、三見市は当時の宿駅で交通の要路であった。 明治二十三年以降、漸次改修が行われ、昭和二十五年に、益田市と下関市とを結ぶ二級国道一九一号に昇格した。 その後、昭和三十八年には、南側の山をえぐり、現在の国道一九一号が新設された。...