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音信川の今

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大きく変貌しようとしている 湯本温泉 街の真中を割くように流れる音信川(おとずれがわ)。本来は深川川(ふかわがわ)であるが風流にも湯本温泉辺りを「音信川」と呼ぶ。 2020年03月15日撮影-1 2020年03月15日撮影-2 2020年03月15日撮影-3 2020年03月15日撮影-4 感性によって「良い季節」という時期が色々あるが自分なりに良い季節だと思う。 ・・・新型〇〇〇ウイルスさえなければ・・・ この深川川はその源流を 真木の大谷本浴や奥畑 に発する。もっと広域に見ると天井山系や花尾山系の山々から流れ出る。 そのように考えると川の見方が変わるかもしれない。

二条窪川の散策

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以前、二条窪川の 水力発電所跡 のことを書いたことがあるが、それがある二条窪川の中流域の様子を散策。 地理院地形図より 2020年03月14日撮影-1 2020年03月14日撮影-2 2020年03月14日撮影-3 2020年03月14日撮影-4 2020年03月14日撮影-5 2020年03月14日撮影-6 2020年03月14日撮影-7 2020年03月14日撮影-8  これらの写真を見ても分かるように急峻な 岳ノ山 直下の二条窪川は、中流域でも渓流と言って良いほどの景観を持っている。 この日は冬場に似合わないような大雨が降った後の景観で、水量が少し多めの様子。 2020年03月14日撮影-9 二条窪集落はこの写真の先の県道沿いに現れる。 【二条窪川】 三隅川の支流(約4.6Km)で、長門市渋木境界より北流して本流に注ぐ。

浅田の散策

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毎日のように見れる風景だが敢えて写真に撮ってみた。 今回、浅田地区を歩いてみたのは 赤間関街道 の 「一里塚」の形跡 が残っていないか散策してみたのだが全く気配をつかめなかった。今のサンマートの道路向い?辺りに「一里塚」という小字名が残っているようだがそれすら正確には判らない。 まずは浅田小学校から。 2020年03月13日撮影-1 2020年03月13日撮影-2 きれいな百葉箱が道路から見える。 浅田バス停。 2020年03月13日撮影-3  浅田バス停から観る サンマート三隅店 。 2020年03月13日撮影-4 2020年03月13日撮影-5 浅田といえば「鉄割山」。鉄割を「 かねわり 」と読むのだが地元でも通称「てつわりさん」で大丈夫だ。浅田に向かって象の鼻のように下りてくる尾根が実に雄大で登山意欲を掻き立てる。 [後記] 赤間関街道の一里塚は三隅エリア内には「 宗頭 」、「 中小野 」、「 浅田 」の3カ所にあったらしい。 この一里塚は萩城下の唐樋の札場より何里、とするのが習わしで、今回はそのうちの浅田にターゲットを置いて歩いたのだが、個人の思いつきで町歩きをすると、やはり不審者として見られるであろうから民家の近くはあまり散策は出来ない。 最後に鉄割山を見上げて「古き人々もこの風景を見ていたに違いない。」と感じて帰路に就いた。 ところで・・・ 2020年03月13日撮影-6 浅田バス停の表示板に「浅田エースミスミ前」という表示が薄く残っていた。今は敢えて言うと「サンマート前」なのだろう。 こんなものしか発見できなかった。

長門市駅0番線の今

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いつからこんなことになったのか知らないが長門市駅の0番線トラック上に鳥居が連なっている。 (今は使われていない番線で、たぶん使用廃止されている。) 2020年03月12日撮影-1 2020年03月12日撮影-2 何のために鳥居を並べたかは少しだけ想像ができる。 しかし似合わない!そして中途半端。 目が慣れてくるのを待つしかないのか? この変化には続きがあるのか? 人丸駅舎にしろ此処にしろ、とってつけたような違和感しか感じない。 3月14日開業する山手線の高輪ゲートウェイ駅の駅名のことで一時話題となったがこれも確かに違和感を感じる。慣れるのを待つしかないのか、と思ってしまうのは感性の違いかそれとも歳を重ねたせいか? 2020年03月12日撮影-3 このような過激な変化は、デザイナーやコーディネーターに介入していただいたほうが良い結果を生むと思うが・・・ 専門家ではないのでこれ以上は書かない。 下の写真は0番線が写らないように撮影したもの。 2020年03月12日撮影-4 (以上、この評価はあくまで個人の意見です。)

転轍器の融雪器

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先日長門市駅の昭和の風景の記憶で「融雪器(カンテラ)」のことに少し触れたが、今も冬場には登場するようだ。 2020年03月12日撮影-1 カンテラ 主レールとトングレール(可動部)の隙間に雪が積もったり水滴が凍ったりすると列車の進路構成が出来なくなる。それを防ぐための灯油式の融雪器が未だに使われている。 灯油ストーブと似たような仕組みで、風が吹くと銀白の景色に炎が舞い上がって彩を加える。 たぶん今期の冬は暖冬で火が灯されることは無かったかもしれないが雪景色の駅構内の美しい風景が見られたものだった。 2020年03月12日撮影-2 そして長門市駅の西には草添山が雄大に聳える。 この山に向かって山陰本線は右に、美祢線は左へと分かれていく。

古八幡の森

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浅田の西福寺の西側に古びた小山がある。そこに奉祀されている「 八幡宮 」は俗に「古八幡(ふるはちまん)」と呼ばれ、その昔は大きな神殿や馬場などが揃っていたとのこと。 その 古八幡宮がある森 が野鳥のたまり場のようになっていてとても素敵な空間で、そして神秘的な気配も漂わせている。 2020年03月11日撮影-1 2020年03月11日撮影-2 2020年03月11日撮影-3 2020年03月11日撮影-4 2020年03月11日撮影-5 2020年03月11日撮影-6 2020年03月11日撮影-7 2020年03月11日撮影-8 2020年03月11日撮影-9 2020年03月11日撮影-10 とっても小さな山というより樹木が無かったら高台としか思えないような地形だ。遺跡でも出てきそうな雰囲気がある。 これらの写真のように数々の石碑や祠などが点在しており、その中には句碑?もある。 2020年03月11日撮影-11 「海くれて 鴨の声ほのかに白し ばせを翁」 と自然石に彫ってあるらしい句碑がある。(全く読めなかった。) 句の心を全く持たないので情景が浮かばない。いと難儀である。 この句碑は「 三隅町の歴史と民俗 」によると、近海の海中にあったものを拾い上げて西福寺の境内に建て、のちに古八幡の境内に移したという言い伝えがあるという。 どうやって海から拾い上げたのだろうか?

浅田小学校の前身?亀田分校

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豊原 小学校(現・豊原神社)と 市 小学校(現・三隅八幡宮下)が合併して明倫小学校が出来たことは以前に書き留めたが、その豊原小学校の分校(分教所)が現在の亀田墓地の高台に在ったようだ。 2020年03月11日撮影-1  「上ゲ」のだだっ広い丘陵地帯の中に「亀田墓地」はある。そこからバイパス側には鉄割山が聳える。 2020年03月11日撮影-2 2020年03月11日撮影-3 亀田墓地から眺める現在の浅田小学校の風景。背景は東方の山から小島山に連なる低い連峰。 旧・三隅町の広報より この記事の図中に「雪隠(せっちん)」という離が描いてある。古い資料にあった図を描き残したのだろうがなんとも懐かしい表現だ。 雪隠=便所 なのだが「厠」でなく「雪隠」と書かれていることが少しだけ粋を感じさせる。 慶応から明治にかけて生き抜いた先人たちの生き様や気配は今となっては想像でしか感じられないが何とも頼もしく立派だ。