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通浦にて

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 何年かぶりに通浦まで来た。 漁港に出て海を眺めて、そして振り返ると記憶とまた違った風景がそこにあった。 2021年04月07日撮影 2021年04月07日撮影 2021年04月07日撮影 2021年04月07日撮影 2021年04月07日撮影 2021年04月07日撮影 野波瀬漁港から眺めると仙崎湾を隔てて真正面(直線距離約4Km)に位置するが、通浦の漁港は西山に被って全く見えない。とっても穏やかな春日で時間が許せば西山を一周してみようと思ったがさすがにそれは叶わなかった。次回の楽しみにとっておこう。

東方より眺める

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 このブログでよく登場する「東方」。ローカル色が強すぎるかもしれないが三隅川下流域北側に位置する集落の総称で「とうぼう」と言います。集落は小島山の南側の二つの谷に沿って上東方と下東方に分かれます。 この東方からの三隅を囲む山々の風景を高校生だった頃から眺めてきた。 2021年04月08日撮影 2021年04月08日撮影 2021年04月08日撮影 2021年04月08日撮影 2021年04月08日撮影 2021年04月08日撮影 時々これらの風景を眺めていて、フッと思うことがある。 「中・高校生だった頃に今のデジタルカメラが在ったら・・・」と言うことだ。タイムスリップ出来るならシャッターを押しまくっているだろうって思う。 山々の風景は昔は禿山だったことが多く、植林で山の風貌が変わってきている。四季折々の色合いが今と違ってきている。 もうすぐこれらの山は薄黄色に変わっていく。

三隅の祠とお地蔵様~小島古恵垰

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 小島と下東方を結ぶ旧道(山道)の峠にお地蔵様が鎮座されている。 2021年03月30日撮影 新旧の地蔵堂が並んでいるのであろう。 2021年03月30日撮影 2021年03月30日撮影 一拝してお地蔵様のお姿を拝見した。フラッシュ撮影のせいで色が変わってしまったが、立派なお地蔵様だ。 「 平成弐拾弐年参月壱拾六日建立 小島自治会 」と札板に記銘されている。(平成22年3月16日建立) 「 古恵垰 」という峠の名前を初めて知ったのだが、旧三隅町の小名にも見当たらない。地元の長老に聞くしかないようだ。 この旧道のことは検めて後日書き残しておこうと思っている。

山焼きの後には

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 2月末に行われた秋吉台の山焼きのその後、山野草が芽吹いてきた。 いかにも知っていそうな書き出しをしたが以前にも書き残したように自分は山野草に限らず植物全般にとにかく疎い。 歩いていてどうしても周囲の山々や風景に目が行ってしまうが、山野草や樹木のお師匠様がいてくださるとなにしろ忙しくなる。そして楽しさが倍増する。 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 鯨ヶ岳の左奥に見えるのは扇山か? 2021年04月03日撮影 北側に桂木山。 そしてここからは以前の私では考えられないショット。 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 野生のアスパラガス。 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 オキナグサ(翁草) 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 2021年04月03日撮影 焼け跡に咲く山野草たちは可憐で愛おしい。 山焼きのおかげ?で夏から秋にかけてヤブが酷かったエリアにも立ち入れて大変満足な山歩きとなった。

久原の土手から天井山系を臨む

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 昨年末より少しづつ市民の関心が広がっている?気配を感じる天井山風力発電事業(仮称)だが、山歩きをする方以外はほとんどと言ってよいほどその具体的な場所がわからないと思う。 その場所と言うのは具体的には権現山から始まり、天井山を経て花尾山に向かう稜線上のことだ。とはいえ地図や言葉で示されてもピンとこない。 2019年04月16日撮影-① 2019年04月16日撮影-② ①の説明書き ②の説明書き せっかくの風景が汚くなってしまったが、敢えて説明書きを入れてみた。 この美しい稜線上(尾根)に何ヶ所か風車が建設されるわけだ。 古くは三隅庄から始まり三隅村を経て三隅町となってきたエリアの風景が一変してしまう。民俗や風習を浚うと神々が宿る山々を壊してしまうこともあり得るわけだ。 個人的な意見はこれほどにして環境や風景が変わることの意味合いをもっと考える必要がありそうだ。

三隅の祠とお地蔵様~上東方

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 上東方集落への入り口付近の小山にジグザグの階段で上っていく墓地がある。このような地所は必ずと言ってよいほど小名で呼ばれているが、資料を漁っては見たが分からなかった。何時しか地元の方に聞くしかあるまい、と思っている。 その小山の墓地にある祠やお地蔵様の様子。 2021年03月30日撮影 2021年03月30日撮影 2021年03月30日撮影 六地蔵と言ってもすぐ隣にもう一体お地蔵様が鎮座されている。 2021年03月30日撮影 2021年03月30日撮影 2021年03月30日撮影 この墓地には所々に上の写真の様なお地蔵様が何体かいらっしゃる。 そしてこの墓地から見渡す風景が下の写真だ。 2021年03月30日撮影 黄砂が酷くて霞んでいるが三隅川河口から仙崎湾を見渡せる。 ここに眠った方々の生前の思いが垣間見えるような風景だ。

三ノ瀬の春

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 三隅の滝坂と一ノ瀬の間に位置する三ノ瀬の 三隅川沿いのソメイヨシノ が満開になった。昔はこのような風景の記憶が無いのだが気が付かなかっただけなのか?わからない。 2021年03月25日撮影 2021年03月25日撮影 2021年03月25日撮影 この三ノ瀬の上には 黄幡社 が鎮座されているのだが、さらにその山奥?には三隅御厨(みすみみくりや)が在ったのではないか、とする文献(調査書?)もある。未だに場所は不明だ。 郷土文化ながと 山口県の地名 平凡社の「山口県の地名」には・・・応安元年(一三六八年)以前の編とされる「神鳳鈔」に「長門国 三隅御厨」とある。防長二国を通じての唯一の伊勢神宮御料地であった。・・・と記述がされている。 写真からは見えてはいないがこの奥には 大谷山(582.84m) が聳えている。その頂上の 三等三角点名はなんと「御所(ごせ)」 と命名されている。そして神畠、神宮のような小名が残っており地名からしてもこの辺りではないか、と推測されるのも不思議ではない。 実は令和元年(2019年)に素人調査に滝坂黄幡社から大谷山に向けて歩いては見たがそれらしき場所は発見できず、唯一分かったことは地理院の地形図の徒歩道や軽車道が現状とはかなり違っていたことだった。植林や間伐のためか、脇山道がかなり加わっており迷ってしまった。 約800年の時を経てきた地形を素人が偏見に満ちた思いで調査するのも楽しいものだった。機会があればもう一度歩いてみたいと思っている。