過去に何度も書き残したが改めて権現山と兎渡谷のことを記す。
ここで言う「権現山」とは兎渡谷(とどろく)の背となり、大平峠(おおひらだお)と大水峠(おおみずだお)に挟まれた標高560.41mの霊山のことだ。
 |
| 桂木山から観た権現山 |
今から577年前のこと、元々谷口村(現・兎渡谷)に粗略な祠が在ったとされているが当時の大宮司に対して三夜つづけて「今の祠は人家に近すぎるので神威を汚す、裏山の高尾山(現・権現山)に祀れば末永くこの村を守護する」という御神託があったという。その結果谷口村の人々は権現山の頂近く?に祠を建てて権現社を奉遷した、とある。
(「三隅町の歴史と民俗」より)そしてその谷の突き当りには下のような「井戸の跡」が見つかった。
 |
| 社跡の近くで見つけた井戸跡? |
神事には清い水が必要でここで汲み上げていたに違いないと勝手に想像をめぐらす。
最初の写真を見て解かるように高尾山の頂から青海島や日本海が直下に見渡せることがわかる。権現山に祀られた神様は不浄のものを嫌われるため海を行き交う船に不浄の輩を見つけると神鳥(烏?)を飛ばして海上に舞い降ろし大時化を起し小舟を破壊した。
そこでそれを厄介に思う船頭が谷口村を訪れ、この辺りに霊威高い神様は祀っていないかと問いただし、高尾山の山頂に権現社が祀られていることを知ると当時の大宮司に申し出て神慮のほどを伺い遷座となったのが谷口村の向かいに位置する「和海山」の中腹だ。この地なら海を行き交う舟は見えないのでその後は海は和んだとある。
そして和海山の新宮にて神楽を奉納していると一匹の霊兎が俄かに現れ、谷を飛び下り対岸の谷口村を越えて高尾山(権現山)奥深くに消え去った。列席する者たちは深く霊験を感じて何時しか谷口村を「兎渡谷村」と言うようになった、と伝えられている。(「三隅町の歴史と民俗」より)
下のアルバム写真は三隅八幡宮宮司さんのご厚意でお見せいただいた貴重な写真だ。
上の写真が高尾山(権現山)山頂近くの浴での神事の様子ではないか、と思われる。
そして下の写真が元亀三年(1572年)和海山に遷座された社殿の現代の神事の様子。この撮影後に兎渡谷神楽舞の奉納があったのかもしれない。
その和海山の権現社へ向かう石段と鳥居。
和海山中腹の旧・権現社社殿の様子。標高約100mにある。
 |
| 権現社の横の厳島社の祠 |
厳島社だけは今も和海山に祀られて残されている。
 |
| 昨年遷座された先の兎渡谷集会所の様子 |
最後に兎渡谷権現社の変遷図を加えておく。
 |
| 兎渡谷権現社の変遷図 |
[後記]
和海山の権現社社殿の横にある「厳島社」の祠は天保十四年(一八四三年)に仙崎より引地し権現社は相殿となった、と記録されている。仙崎の厳島社は弁天島に祀られている厳島社と思われる。仙崎の弁天島は現在は人工島の一部となり陸続きとなった。和海山の中腹に「厳島社」とは妙な感じがするが元々谷口村(現・兎渡谷)近辺の小名には「磯地」、「塩入」、「船止」、「岩ケ淵」のような今の地形にはふさわしくない地名が残っている。仙崎湾がここまで入り組んでいたということか。