先日、久原橋付近の河川工事を上げたが今回は小波橋(通称、野波瀬橋)の下手から東関渕(とうかんぶち)にかけての工区のこと。
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2021年12月01日撮影 |
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2021年12月01日撮影 |
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2021年12月01日撮影 |
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2021年12月01日撮影 |
このエリアの土砂と雑木が無くなると昔見た記憶の風景に近くなる。
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2021年10月23日撮影 |
ところで「東関渕」辺りの風景を上東方から眺めると舟戸のお地蔵様が対岸にいらっしゃる。
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2021年11月04日撮影 |
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2021年11月04日撮影 |
このお地蔵様と舟戸の年貢米の積出港とは直接的な関係はなさそうだが、此処の淵を「東関渕」といった名前を一考する。
舟戸の船着場の土手向こうには前大津宰判勘場(代官所)があった。先大津宰判勘場を西の勘場(代官所)とするならここは東の勘場となり、その勘場前の淵ととらえるなら東関(勘?)淵と言えよう。
「三隅町の歴史と民俗」には「東関」という字名が見当たるが、小名には無い。字名があると云うことは人の住んでいた形跡があったと捉えるが現在は「上東方」として括られている。
子どもだった頃、この東関渕は底が見えないほど深く神秘的な場所であったため近寄りがたかった。今はすっかり浅くなってしまい船着場の面影は消え失せている。そんなことを思い出して川浚えを眺めている。
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