令和の川浚え

 舟戸(船戸)の説明板に「洪水で川が浅くなるので、慶応二年まではたびたび川浚えを行った。」と記述がある。これは年貢米の運搬のためなのだが、令和となった今も「川浚え」は続いている。

2021年12月21日撮影

2021年12月21日撮影

2021年12月21日撮影

2021年12月21日撮影
令和の川浚えは舟戸ではなく、少し上流の東関渕から小波橋、久原橋付近、そして市中橋辺りから土手近辺と広域に亘っている。

2021年12月01日撮影

2021年12月01日撮影
江戸時代までの川浚えは舟の行き交いのためのようだが、現代の川浚えは水害を抑えるための河川整備に依るものだ。
三隅庄から三隅村、そして三隅町へと変遷した中で、幾度もの三隅川の洪水を経験してきたわけだが昭和30年代以降の河川整備が始まってからは甚大な水害は被っていないように思う。

さらにこの土砂の堆積で山から運ばれた栄養分が海まで届かず、漁業にも影響を及ぼしているような気がしてならない。

それともう一つは「見栄え」、つまり風景のことだが、土砂が堆積し、そこへ数々の雑木が生え、成長した樹木となってしまい川の見栄えや見透しが悪くなっている。一言で言うと汚いのだ。きれいにするとゴミの不法投棄も少しは減ると思う。

コメント

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

アトラス長門の記憶