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2月, 2022の投稿を表示しています

季節は進む

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 少しづつだが日が長くなってきた。 元旦には権現山と扇山の間から昇っていたお日様が今は扇山の北側(左側)から昇りはじめる。 2022年02月27日撮影 県道287号線、三隅踏切手前からの撮影だが時刻は午前7時10分頃の風景だ。 2022年02月27日撮影 自分にとってみれば定点観測のような場所で久原橋からのお気に入りの場所だ。少し昔は三隅町役場の建屋が鉄橋の上に乗っていた時代もあった。 2022年02月27日撮影 朝の上り一番列車1562Dが三隅川橋梁を渡る。 一番列車が7時台と言うのもその地域の特色を現している。スカスカの時刻表を思い出してしまった。

長門三隅駅にて昭和を想う

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 雪こそほとんど降らなかったが凍えるような寒い日だった日曜日。物好きにも散歩がてら長門三隅駅に立ち寄った。ひと気のない駅と言うものは本当に殺風景で寂しい。 2022年02月20日撮影 夏柑選果場で線路に並行して立っていた 木マクラギ柵の跡 に目がいった。ほとんどが倒れて消え失せてはいたが何本かは残っていた。 2022年02月20日撮影 保材線には昭和の時代、貨物列車が引き込まれていてナツミカンを選果場から積み込んでいたことを思い出した。 昭和40年代・長門三隅駅 入れ替えを終えたD51機関車が萩に向けて出発する一コマだ。この頃は駅長さんはいたが入替要員は東萩駅から来ていたのかもしれない。 5年前に撮った写真に落書きをして昭和の頃を振り返ってみた。 2017年06月19日撮影 2017年06月19日撮影 昭和の頃は跨線橋などなく、1番ホームから線路に下りて2番ホームに渡っていた。2番3番ホーム上に在った待合小屋の形跡が残っていたり不衛生な便所の建屋もあったことまで思い出した。 [後記] 先週だったか、JR西日本が「人口減少などにより利用者が特に減っている地方路線について 見直し を検討している」と言うような発表をした。他所事に思えずドキッとしたが「見直し」という言葉がひっかかってしまう。すぐに思い浮かんだのが「BRT化」だ。手を挙げて反対するほど利用していないのだが、この風景が無くなるのはとってもつらい。利用者が元々少ないので「特に減っている」わけではない、と屁理屈を思いついた。情けない限りだ。山陰本線と言いながら急行列車も特急列車もいない。時折走る瑞風と観光列車が唯一の救いだ。

久原山の修景伐採地にて

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 三隅の向山から久原山に向かう登山道「向山ヤマモモルート」にて修景伐採された箇所が2ヶ所ある。天候の良い日にその2ヶ所へ野鳥の観察に出かけた。 2022年02月14日撮影 樹上からは様々な野鳥の鳴き声がするが姿を見せないのでもう一カ所の伐採箇所へ移動。 2022年02月14日撮影 こちらで三脚をセットして待ち構えるとすぐにメジロとヤマガラの鳴き声が聴けた。姿を見れたのはメジロのみ。 2022年02月14日撮影 ヤマガラがすぐ近くに居るが鳴き声が聞こえるだけで見つからない。その後正体不明の鳴き声もしてきたが全く姿を見せない。 2022年02月14日撮影 やっと撮れた一枚はメジロさんだった。野鳥の撮影の難しさを痛感する。素人には無理だとわかり三脚を撤退した。 2022年02月14日撮影 その後もこの枝に何度も泊まりに来たがカメラを持った瞬間に去って行った。よく見ると背景は岳の山(左)と鉄割山(中央)だ。これを見れただけで満足したがここは本当に気分が良い場所だ。 次回は撮影をやめてバードウォッチングのみに徹しようと思う。

西福寺にて

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 浅田の丘陵地にある西福寺は、南に連亘する鉄割山系と北側の仙崎湾に囲まれた地にある。実に風光明媚だ。 2022年02月08日撮影 2022年02月08日撮影 不老溪塾に思いを馳せ、明治維新の頃(尊王攘夷運動)を偲ぶ。 2022年02月08日撮影 本堂は昭和五十年の火災により再建されたと聞く。当時の主要道(国道191号)から離れた地だったせいか記憶の中には無かった。浅田川の乏しい水量では消火もままならなかったのではないかと勝手な推測が過った。今の三隅バイパスの役割は大きい。 追記:現在の国道191号線三隅バイパスは平成元年(1989年)2月27日に小浜~町道浅田1号線まで開通している。浅田~中村間(現在のローソンの前)は平成6年(1994年)3月30日に開通し、三隅バイパスは全面開通となった。今後山陰道と絡んでどのようになっていくのか見守っていきたい。

三隅の祠とお地蔵様~中村熊野権現社の祠

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 「三隅町の歴史と民俗」を読み漁っても結局見当たらなかった祠の一つに中村熊野権現社の境内の片隅にある祠がある。 2020年12月29日撮影 一年以上前に撮影したものの結局由縁等が判らず、折角地元の方とお話する機会があったにも関わらずお聞きすることを失念していた不詳の祠だ。 そのまま自分の記憶から離れていくことを懸念しての書き込みとする。 ここから下は過去にアップした写真。 2020年12月29日撮影 2020年12月29日撮影 2020年12月29日撮影 大竹から撮影した中村権現山の全容だが写真左側に延びる稜線は正楽寺の背となる足河内山へと続く。その途中どこかに「権現原」という地名があり抑々の所以となった場所だ。 たくさんの歴史を抱えた謎多き山である。

三隅の祠とお地蔵様~豊原荒神社(その二)

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 向山入口の荒神山に鎮座されている豊原の荒神様は豊原の下町組の方がお世話をされている。 御神体は三面に顔がある三宝荒神の石像。 社は「荒神社改築 平成四年三月廿八日 豊原下町組」と記銘されていた。三宝荒神の三宝とはたぶん「仏」「法」「僧」のことで、ブッポウソウという鳥がいるのだがその鳥のことを調べていて「三宝」を知ったような記憶だ。荒神様は火と竈を司る神様であるが三宝ならぬ三方見ていらっしゃるので豊原には大火も災厄もなさそうだ。 傍の祠は何が祀ってあるのか不明だ。元々の荒神社かもしれない。 荒神様の正面は岳ノ山(343.9m)が聳える。そして直下の三隅川の向こうには二条窪道に向けて豊原の町が拡がる。 整備されているというより何とか登れる山道だ。気を抜くと転びそうだ。 小波橋より眺めた荒神山の風景。とっても急峻な小山だ。この久原山の連峰となる荒神山の向山側には向山塾の跡地がある。豊原小学校の基盤となった塾だ。その入り口には宰の神様が鎮座されているとってもすてきな場所だ。 [後記] 以前に訪れたときも感じたが社周辺がきれいに刈られてよくお世話されている様子が伺えた。三隅と言わず長門市のあちらこちらに、いや日本の各所に人知れず鎮座されている社や祠が多くあり、そこに住む者も高齢化してお世話が出来なくなったがために忘れ去られた地を想うとまだまだ大丈夫かもしれない。延享二年(1745年)の下組荒神講が引き継がれて277年目となる。(「豊原のあゆみ」より)300年祭もいけるかもしれない。

ぽっちゃりな野鳥たち

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 最近家の前にやって来る野鳥たちがみんな揃って「丸っこい」というか「ぽっちゃり」さんに見えてきた。余程エサ場の環境が良いのかそれとも悩みが無いのかとにかくモフモフしている。 (単純に「冬毛」だから、と言うだけではないように思う。) ノスリ-1 まずは先日も書き込んだノスリ。 ノスリ-2 飛び立つ瞬間も動作が遅いのだ。まるでネコかテンに見えてきた。 モズ-1 そしてモズも図鑑などで見る同種よりも丸っこい。 モズ-2 イソヒヨドリ(メス)-1 最後はイソヒヨドリのメスだと思うがお腹がぷっくりしている。 イソヒヨドリ(メス)-2 あまりに丸っこいのでしばらくはイソヒヨドリとは思えなかったがたぶんそうだろう。 これ以上太ると動作が鈍ってカラスに襲われると思うが大丈夫か。鳥ごと?ながら心配になってきた。 でも野鳥たちは本当に可愛い。

三隅の祠とお地蔵様~滝坂

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 三ノ瀬橋から滝坂に向かう旧道に六地蔵が鎮座されている。 滝坂の六地蔵 滝坂の六地蔵 「三隅町の歴史と民俗 (昭和48年発行) 」を漁っては見たが謂れや年代は不明。どうやら地元の長老に聴くしかないように思うが判明したら再度書き込むことにする。御堂は改築されているように見える。 この六地蔵様はお顔がはっきりと伺えない。わざと泥に塗られたような色にされているのであろうか、気になるところだ。 滝坂の六地蔵

ラジオの時代

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 「ラジオの時代」と書いたが、深夜放送が流行った1970年代頃のこと。 1972年の頃 さすがに当時のトランジスタラジオは手元に残っていないが、ダイヤル式チューナーでアンテナやラジオ本体の向きを調節して感度が整うまでが一苦労。そして聞きなれた声や音楽、CMなどが聴こえてくるとホッと一息。布団にもぐってお気に入りの番組を待つ。「受験勉強をしながら」と書きたいところだが記憶の中では布団の中でしか聴いていない。 「虹と雪のバラード」がしきりにテレビから流れていたが好んで聴いていたのは被れたように洋楽ばかりだった頃にラジオからは「今夜の パーソナリティ は・・・」という言葉をよく聞くようになった。 (世間の流れと少しずれがあるかも?) 1979年の頃?のラジカセ 80年代のラジカセ パーソナリティって直訳すると人格とか個性って意味だが、この頃からラジオ番組の担当者の意味で使われるようになった。そのパーソナリティに好みが出てきて糸井五郎さんや野沢那智さんの独特の声が好きで今でも忘れられない。下宿生活が始まった70年代後半になると夕方の番組から流れてくる若山弦蔵さんの声を聴く習慣が始まった。皆さん亡くなられてしまいました。特に若山弦蔵さんは昨年の5月に亡くなられてそのニュースを聴いた日にはGeorges Jouvinのトランペット曲を何度も聴いた。「おつかれさま 5時です!」 [後記] 1970年になったばかりの頃からじいさんから頂いたトランジスタラジオで聴きだした深夜放送だが、この当時我が家に限らず長門市や三隅町では地元のラジオ局以外は深夜0時を過ぎないとTBSラジオ、ニッポン放送、文化放送などの東京エリアの放送が聴けなかったのだが同世代の方だったらわかっていただけると思う。1000km離れた放送局の電波が届いていたことが今思うと信じられないが、午前0時を過ぎた途端に聴きとれる音となってくる。余程パワーの強い電波だったに違いない。そして近隣国のラジオ局の放送が終了する時間になると同時に聴け出したものと理解している。 (これらの話はFMではなくAMのことです。当時のラジオは短波放送用の周波数帯域もチューニングできていたが最近はそんなラジオは見かけなくなりました。 以上、部屋の片付けをしていて出てきた古いラジカセを見ての追想でした。)

ノスリが来た

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 暫く姿を見せなかったノスリが再びやって来た。 2022年01月31日撮影 2022年01月31日撮影 最初は森の中の枝に留まっていて腹が白いのですぐに見つけられた。さっそくカメラを準備して玄関を出ると目の前の電線に移動していた。相手も何かを察知して移動したのだと思うが近寄ってくれたおかげでこのような写真となった。当然のことながらすぐに飛び去って森の中へ戻って行った。 トビよりも幾分小型で丸っこいずんぐり体型だ。ネズミなどの小動物を捕食するのでこちらとしてはとってもwelcomeなのだ。 そういえば今年になってフクロウの鳴き声をまだ聞かない。早く来てほしい。 2022年01月22日撮影

山肌の残雪

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 先月の19日夜から降った雪は三隅の平野部にはまったく積雪をもたらさなかった。 (20日朝の山中峠は一面雪景色だった) そして穏やかな冬日となった22日に権現山(標高560m)を歩いた。 2022年01月22日撮影 標高400m前後から1月20日の雪が尾根上に残っており木漏れ日に照らされて素敵な登山道に変化していた。 2022年01月22日撮影 野生動物の足跡も登山道に沿って残る。歩きやすいのは人間と一緒のようだ。 2022年01月22日撮影 見上げれば青空が広がる穏かな晴天。1月としては珍しい好天気。 2022年01月22日撮影 白銀の世界も良いが落ち葉の残雪も良い。冬場にこんなに気持ちよく歩けることは滅多にない。当然のことだが冬の山歩きは風の無い日が良い。 その残雪の元となった1月20日のこと。 山口市吉敷からみる東鳳翩山(734.2m)は薄っすらと雪景色であった。 2022年01月20日撮影 山口市内には全く雪は無かったがさすがに東鳳翩山は少しだが白くなっていた。たぶん山肌は銀世界であったであろうと想像する。ちなみに東鳳翩山は 新 日本百名山( 岩崎元郎さん選?) の一座らしい。

宮峠のこと~再考

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 昨年の初夏だったか豊原の「宮峠」のことを書きこんだが、今も「峠道」が在るのかどうか検証に立ち入ってみた。 (現在の三隅バイパス豊原トンネルの上辺りのことだがたぶんここが「宮峠」だと思う。) 1990年(平成2年)10月1日発行地理院地図 1990年の地形図にある真っ直ぐな道(宮峠?)は荒れて歩ける状態ではなかったので南に延びる林道からトンネル真上の尾根まで周りこんでみた。 (この林道は岳の山方面へ向かっているがこれも荒れていた。) 豊原トンネル真上の尾根で不自然な石を見つけ、その先で五輪塔?が鎮座されていた。上部?がコケていたので台座に重ねてみたがかみ合わないので横の凹みに立てておいた。五輪塔か墓なのかはっきりしない。 豊原トンネルのほぼ真上に位置するので何か曰くがありそうだが判明したら再度書き込んでおくつもりだ。 豊原のあゆみ(歴史と伝承)をもう少し精読してからのことになりそうだ。