ラジオの時代
「ラジオの時代」と書いたが、深夜放送が流行った1970年代頃のこと。
1972年の頃 |
さすがに当時のトランジスタラジオは手元に残っていないが、ダイヤル式チューナーでアンテナやラジオ本体の向きを調節して感度が整うまでが一苦労。そして聞きなれた声や音楽、CMなどが聴こえてくるとホッと一息。布団にもぐってお気に入りの番組を待つ。「受験勉強をしながら」と書きたいところだが記憶の中では布団の中でしか聴いていない。
「虹と雪のバラード」がしきりにテレビから流れていたが好んで聴いていたのは被れたように洋楽ばかりだった頃にラジオからは「今夜のパーソナリティは・・・」という言葉をよく聞くようになった。(世間の流れと少しずれがあるかも?)
1979年の頃?のラジカセ |
80年代のラジカセ |
パーソナリティって直訳すると人格とか個性って意味だが、この頃からラジオ番組の担当者の意味で使われるようになった。そのパーソナリティに好みが出てきて糸井五郎さんや野沢那智さんの独特の声が好きで今でも忘れられない。下宿生活が始まった70年代後半になると夕方の番組から流れてくる若山弦蔵さんの声を聴く習慣が始まった。皆さん亡くなられてしまいました。特に若山弦蔵さんは昨年の5月に亡くなられてそのニュースを聴いた日にはGeorges Jouvinのトランペット曲を何度も聴いた。「おつかれさま 5時です!」
[後記]
1970年になったばかりの頃からじいさんから頂いたトランジスタラジオで聴きだした深夜放送だが、この当時我が家に限らず長門市や三隅町では地元のラジオ局以外は深夜0時を過ぎないとTBSラジオ、ニッポン放送、文化放送などの東京エリアの放送が聴けなかったのだが同世代の方だったらわかっていただけると思う。1000km離れた放送局の電波が届いていたことが今思うと信じられないが、午前0時を過ぎた途端に聴きとれる音となってくる。余程パワーの強い電波だったに違いない。そして近隣国のラジオ局の放送が終了する時間になると同時に聴け出したものと理解している。(これらの話はFMではなくAMのことです。当時のラジオは短波放送用の周波数帯域もチューニングできていたが最近はそんなラジオは見かけなくなりました。
以上、部屋の片付けをしていて出てきた古いラジカセを見ての追想でした。)
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