長門三隅駅にて昭和を想う

 雪こそほとんど降らなかったが凍えるような寒い日だった日曜日。物好きにも散歩がてら長門三隅駅に立ち寄った。ひと気のない駅と言うものは本当に殺風景で寂しい。

2022年02月20日撮影
夏柑選果場で線路に並行して立っていた木マクラギ柵の跡に目がいった。ほとんどが倒れて消え失せてはいたが何本かは残っていた。

2022年02月20日撮影
保材線には昭和の時代、貨物列車が引き込まれていてナツミカンを選果場から積み込んでいたことを思い出した。

昭和40年代・長門三隅駅
入れ替えを終えたD51機関車が萩に向けて出発する一コマだ。この頃は駅長さんはいたが入替要員は東萩駅から来ていたのかもしれない。

5年前に撮った写真に落書きをして昭和の頃を振り返ってみた。
2017年06月19日撮影

2017年06月19日撮影
昭和の頃は跨線橋などなく、1番ホームから線路に下りて2番ホームに渡っていた。2番3番ホーム上に在った待合小屋の形跡が残っていたり不衛生な便所の建屋もあったことまで思い出した。

[後記]
先週だったか、JR西日本が「人口減少などにより利用者が特に減っている地方路線について見直しを検討している」と言うような発表をした。他所事に思えずドキッとしたが「見直し」という言葉がひっかかってしまう。すぐに思い浮かんだのが「BRT化」だ。手を挙げて反対するほど利用していないのだが、この風景が無くなるのはとってもつらい。利用者が元々少ないので「特に減っている」わけではない、と屁理屈を思いついた。情けない限りだ。山陰本線と言いながら急行列車も特急列車もいない。時折走る瑞風と観光列車が唯一の救いだ。


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