長門三隅駅のこと~再び

 1924年(大正13年)11月3日に開業した長門三隅駅は来年の11月で100周年を迎える。ちなみに来年の3月で市内の長門市駅(旧・正明市駅)、渋木駅も100周年を迎える。

このブログで何度か書き込んでいるが、長門三隅駅は美禰線の延伸で正明市駅からの終着駅として開業している。

そして時は経ち山陰本線の所属となり、国鉄時代終焉の頃まで「米子鉄道管理局(現・米子支社)」の所属駅であった。隣の長門市駅から幡生駅までの山陰本線は「広島鉄道管理局(現・広島支社)」の所属で、管理局境界が沢江第2踏切と浅田踏切の中間あたりにあった。その後は長門市駅から益田駅手前までJR西日本広島支社長門鉄道部の管理となった。

2023年2月27日撮影

2023年2月27日撮影
この自動信号化の完成したころには下の写真の2番ホームの向こう側(南側)に3番線があり、そこからの上り下りの出発信号機が設備されていた。今はすっかり雑草で埋め尽くされてしまって跡形もない。
2023年2月27日撮影

2023年2月27日撮影
左の建屋は夏蜜柑の選果場でここから列車に積み込んで出荷していた。そのための引込み線が現在は旧保線区の材料線となった。ということは入れ替え作業も過去にはあったわけだ。

正面には扇山、右手には権現山が聳える。

[後記]
JR美祢線が来年の3月で厚狭駅から正明市駅まで全線開通して100年目となる。素敵なラッピング列車が登場しこれから少しでも賑わいを取り戻すことを期待しているが、来年の文化の日に100周年を迎える長門三隅駅もせめて文化祭に向けて駅舎の開放や記念イベント程度はあってほしいが市とJRが歩み寄ることを期待して声を上げて行こうと思っている。予算的にはすでに遅いかもしれないが長門三隅駅の歴史をもう少し広めたい。
さて、一市民の声がどこまで届くことやら・・・。

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