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サイズの大きな生き物

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この季節にふさわしい生き物で、ちょっと普段見れないようなサイズの生物(と言ってもよく見るものだが!)のご紹介。 まずはデンデンムシ。(カタツムリ) 小さいサイズはよく見かけるが、こんな大きいサイズの生きた個体はめったに見れない。 ツノを出して進む姿はまさに怪獣ナメゴン!(ナメクジではなかった) アジサイの葉に止まらせようと思ったが、近くにアジサイがなかった。 下の写真は朝の涼しい時に車のボディーに留まったアマガエル。 サイズを比べるものがないが、かなり大きいサイズだった。 アマガエルは子供の頃は平気で触っていたが、少しながらも毒があると知ってから触れなくなった。 中学生の頃に三隅川でアマガエルをくくってエサにしてナマズを釣っていたが、今思うと残酷なことを平気でしていたように思う。ただし一回も釣り上げたことは無い。ミミズで釣ったことはあるのだがミミズだと、先にフナがよく釣れていた。 このブログは、時々生物の話が出てきます。

宗頭小学校と三隅ニット

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昭和46年3月 (昭和45年度末)に宗頭小学校は、三隅町立明倫小学校の新築校舎が完成と同時に吸収統合され、廃校となった。 その後宗頭小学校の校舎の一部を利用して「宗頭文化センター」が発足し、三隅公民館の分館として運営されていたと思う。 さらに 昭和61年9月 に 三隅ニット株式会社の工場誘致 に伴い廃校利用をされてきた。 2003年01月24日撮影  上の写真は今から14年前の旧校舎の写真。建屋の中の蛍光灯が点いているので、製縫工場として稼働しているときの写真だが、「三隅ニット」の頃なのか「ミスミユニオン」になった後なのかわからない。 2008年09月26日撮影 9年前の宗頭文化センター正面の様子 下の2枚の写真は、昨年の3月に撮影したもの。 2016年03月31日撮影-1 2016年03月31日撮影-2 「ミスミユニオン」の入り口?。 [付記] 宗頭小学校が廃校となった昭和46年(1971年)のころ、私はラジオと音楽に首ったけで、初めて自分専用の「ラジカセ」を買ってもらった年だったと記憶している。 以前にもこのブログで少し触れたが、深夜放送から流れてくるポップスが好きで 糸井五郎さん のオールナイトニッポン(毎週月曜の深夜で日付は火曜日)を欠かさずに聴いていた。初めて聴いたのは確か1970年の初めの頃で、じいちゃんのラジオ(パナソニック製だったと思う)を借りて深夜0時になるのを待ち、ニッポン放送が入りだして(「聴け出して」の意味だが、この当時深夜0時にならないとニッポン放送や文化放送がまともに聴けなかった。)自分の至福の時間がスタートしていた。 当時の糸井五郎さん 今思うと、なぜ東京のラジオ局が山口県の北部で聴けていたのかが不思議でしょうがない。けっして地方局の中継電波を聴いていたのではないのだ。ニッポン放送、TBSラジオ、文化放送が主たるもので周波数も東京で聴くそのものなのだ。 勝手な想像だが、高層ビルがほとんどない時代で、他の電波もほとんど飛び交っていない頃の高電力AM波は1000km以上の距離をカバーしていたのかもしれない。

白潟から眺める三隅の風景

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沢江や開作地区に面している白潟湾は、その昔真珠の養殖(小島)やカキ筏等があり、海面に多くの竹竿が浮いていたし刺さっていた。(かすかな記憶で書いている) その対岸である白潟から三隅を眺めてみた。 2017年06月09日撮影-1  山本開作が正面に見える 2017年06月09日撮影-2 小島の山々。海上には住友セメントのタンカーが浮いている。  2017年06月09日撮影-3 対岸の沢江の風景がとてもきれいに見えた。  2017年06月09日撮影-4 鉄路と海と山々の風景。 高校時代の3年間、ここを自転車を漕いで通ったことを思い出しながら撮影。不思議だが当時より今の方がきれいな風景に思える。 ここをSLが走っている光景が目蓋に焼き付いている。 たしか、国鉄時代の西日本最後の蒸気機関車(D51型)の運転区間だったと記憶している。昭和50年から51年頃の話だ。

初夏の久原山

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梅雨らしくない天候が続いているが、山の木々が黛色を帯びてきだした。初夏と言っても良い色具合だ。 若葉の頃から深緑に変わるこの季節、ツバメなどの渡り鳥が子育てに忙しく飛び交っている。とっても生命感あふれる季節になってきた。 2017年06月09日撮影-1  三隅川橋梁と久原山 その1 2017年06月09日撮影-2 三隅川橋梁と久原山 その2  2017年06月09日撮影-3 三隅中学校前 堰堤と久原山  2017年06月09日撮影-4 JA三隅支所の背景にそびえる久原山 山の彩りと川や水田に写った薄影が「1枚の絵」として成り立つように撮りたかったが、なかなか思い通りに撮れない。 ケータイやスマホで撮った写真の方がきれいに撮れたりするのが悔しくてならない。

物資部のこと

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長門市駅北口の西側に、今現在有料駐車場になっている場所がある。 そこには過去に「物資部」という国鉄直営のストアがあり、街のお店より安かったのか?かなり賑わっていた時代があった。 (私が行ったことのある物資部に下関駅や広島駅の近くにもあった。全国でいうとかなりの箇所にあったはずだ。) 「ぶっしぶ」だが「ぶしぶ」と発音していたのが面白い。 木造の建屋で、外壁が汽車の煤煙で黒ずんでいて、いかにも昭和のお店って感じのものだった。 2015年01月13日撮影  長門市駅西側の風景。正面の白い建物はJR長門鉄道部乗務員宿泊所兼社員寮。 2013年06月23日撮影-1 この道をまっすぐ進んで左側(線路側)に物資部はあった。 左にある駅前歩道橋(横断陸橋:昭和60年3月完成)が出来たころにはまだ物資部はあった気がする。 駅南口の開発に伴い出来た歩道橋だったと記憶している。 2013年06月23日撮影-2 フェンスの手前辺りだった記憶がある。 2013年06月23日撮影-3 物資部の建物が撤去されて、1、2年程度は上の写真の手前入り口の奥で「物資部」として営業されていた。 ここは表側のステーションホテルと中でつながっていて駅前ロータリーに抜けられた。 ここ(ステーションホテルの裏)に「物資部」が移転していて、しばらく営業していたことはあまり知られていないと思う。 2012年06月25日撮影 同じ場所に鮮魚店があった頃の写真。 この「物資部」のあった場所から線路を挟んですぐに国鉄長門機関区(現、運転支所)があり、2年前の年の暮れに話題となった転車台がその前にある。そのさらに南側に国鉄の官舎が並んでいて、黒ずんだ板張りの仕切りがたくさんあった。思い出すとキリがないが、 転車台 の話を含めてこのあたりの風景のことをいくつかここに残しておこうと思っている。

梅雨入りはしたけど

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先日(6月6日)に九州・山口が梅雨入りをしたようだ、と気象庁から発表されたが、発表された日以外はここ北浦はまったく雨が降らない。 三隅川は水量が減ったせいで、下流域では水藻が大繁殖し、臭うし汚いし、大変である。 下の写真は梅雨入りする前の小波橋付近の様子。現在はもっとひどいので写真を撮っていない。 2017年05月28日撮影-1 水の色がとてもオカシイ。クサガメが酸欠?で浮いたままになっていた。普通は人の気配がするとすぐに潜ってしまうが、水質の状態が悪いせいか、しばらく浮いたままだった。 2017年05月28日撮影-2 2017年05月28日撮影-3 2017年05月28日撮影-4 水田の水が引いてしまっていた。 毎年少しだがホタルがこの辺りを飛び交っていたのだが、今年はまったく見れない。 台風や大雨警報は嫌だが、空梅雨にはなってほしくない。

沢江川河口の風景

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以前ここで紹介した沢江川の河口の風景がつい最近一変した。 たぶん経年の老朽劣化で崩されたのだと思うが、とっても好きな風景だったので少し寂しい気持ちが湧いてきた。 本日撮影した写真 2017年06月09日撮影-1 2017年06月09日撮影-2 下の2枚の写真は以前アップした同一場所の写真。 2005年06月13日撮影-2  ちょうど12年前の写真だがこの時もかなり老朽していたような気がする。 2017年02月08日撮影 こちらは今年の4か月前の写真。 実は今朝の連続朝ドラマの「ひよっこ」で、向島電機の工場と社員寮(乙女寮)が取り壊される寸前の舎監さん(愛子さん)とヒロインのみね子さんの会話で・・・ 取り壊されるのが寂しいみね子に対して、愛子さんは「ちっとも寂しくないよ!新しい工場ができるかもしれないし・・・」のような会話、を思い出した。 前に書き込んだことがあったと思うが、学生時代に住んでいた下宿が無くなっていた(当時の住所自体も区画整理で無くなっていたことがわかった)ことを目の当たりにしてがっかりした経験をしたことを思い出した。 当時の写真でも残しておけばよかったと何度思ったことか。ひたすら元気で将来の不安も何もない時は、画像や映像を残そうとは思わないのかもしれない。よくある話だが、無いのはお金だけだった。