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ツバメが巣立つ

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日曜日の朝、ツバメの巣を見ると4羽いたはずのヒナが2羽に減っていた。振り返ると正面の軒に2羽が留まっている。親かと思ってみたが少し小さい(羽が少し短い)。多分一足先に巣立った2羽だ。 2020年07月19日撮影-1  残った2羽に近づいてみてもじっとしていたが、この後1羽が羽ばたいてその後巣立った。 そして最後の1羽。 2020年07月19日撮影-2 上の写真を撮ったすぐ後に羽ばたいていった。よく見ると別れを言っているようにも見える。可愛いやつらだ。 夜になって巣を見てみると1羽だけが寝て?いた。 他の3羽はどうしたのだろうか? ひょっとしてこの1羽が来年にやってくる個体になるのであろうか? そしてこれまで育ててきた親たちは何処に行ったのだろうか? 生態がわからない部分があり不思議なことがたくさんある。 [記事] 羽化したときは5羽いたが、成長の遅い1羽(要領が悪いせいでエサをもらえない?個体)が巣から落ちていたことがあった。ひょっとして間引かれたのか? そうだとしたらかなり残酷な生態でもある。 残った4羽もよく見るとそれぞれサイズに違いがある。ツバメの世界にも要領のいい奴が食料にありつけるのか?親は均等にえさを分け与えているように見えるが実際はどうなのかわからない。

仙崎を歩く~番外編

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仙崎半島北端を歩いていて興味深い立て看板(説明板)を見つけた。 「日本近代式捕鯨発祥の地」の説明板だ。 このタイトルに関しては知ってはいたが詳細までは気に留めることもなかった。しかしながら読んでみるとなかなか興味深い。 2020年07月12日撮影 「滝口樓」にて設立総会を開いていた、との情報が目に留まった。 たぶん三隅村沢江にあった「滝口旅館」のことである。 以前にも書き留めたことがあったが、「樓」という言葉がとても印象的で美しく感じる。 当時の楼閣?のような旅館の建物を見てみたいが想像するしかないことが少し残念だ。 「ニッスイ」の創業より以前の話だが、創業に至るまでの礎となったことは間違いないようだ。 説明文の最後の修正部分が気になるが何と書かれていたのだろうか?

仙崎を歩く~その2

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霧雨が漂う中を仙崎半島を歩く。 今回は北端のみすゞ通り辺りの風景。 2020年07月12日撮影-1 2020年07月12日撮影-2 2020年07月12日撮影-3 2020年07月12日撮影-4 2020年07月12日撮影-5 2020年07月12日撮影-6 2020年07月12日撮影-7 2020年07月12日撮影-8 2020年07月12日撮影-9 天候が勝れなかったせいか通りに人影を見ることが少なかった。 霧雨の中に線香の匂いが漂う。ちょっと昔ながらの仙崎を感じた。仙崎半島には狭いながらもお寺が密集しており、今回のように「ちょいと見」ではわかりずらい姿がある。

豊栄苑と豊栄橋

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豊原より野波瀬へと左折すると小波橋を渡る寸前に小さな苑がある。 花壇に治水工事完工の石碑が建つこの苑は「 豊栄園(とよさかえん) 」と呼ばれる。 「豊栄苑」が出来たのは昭和38年と思われる。三隅町が稲田正治町政(昭和26年4月~昭和42年4月)の頃で、後年の広報の記事には次のように紹介されている。 [以下は広報からの抜粋] 河川改修の残土で作った豊栄苑に、改修完成記念に建てた周東英雄先生の揮毫に成る「以治水郷土安泰」の碑は、之を郷土三隅に永久に伝えるものである。 2020年07月14日撮影-1 2019年08月28日撮影-1 2019年08月28日撮影-2  この石板には「豊榮苑 昭和38年 山口県国体開催記念」と記銘されている。東京オリンピックの前の年に山口国体が開催され、その時に豊栄苑前の国道を昭和天皇が通られている。 2019年08月28日撮影-3 [以下は広報からの抜粋]  昭和二十九年九月二十六日、台風十五号に依る前古未曽有の大災害を受け、堤防は各所に大決潰を起し、道路は寸断され、三隅平野は全域が濁流の海と化し、市、土手、中村、湯免、久原、豊原、平野等の下部落に多数の流失、決潰、及び浸水家屋を生じた。 自分(稲田正治 町長)は寸断された鉄道伝いにやっと役場へたどりついたが、役場も床上浸水で目もあてられぬ。・・・以下省略 (注)この時の役場は昭和29年であるから木造の三隅町役場の時代。 2019年08月28日撮影-4 2019年08月28日撮影-5 昔を偲んで色々なことを思う。二度と遭ってはならない経験や古人の思いが詰め込まれた地として豊栄苑は出来ている。今だからこそ余計に思う。「治水を以て郷土は安泰となる」 撮影年及び場所不明 上の写真は背景と銘板の位置からして現在の場所ではないようだ。後年に今の位置に移されたのであろう。ひょっとして小波橋の付替え工事の時に移動したのではないかと推測する。 そして旧国道には二条窪川を渡る「 豊栄橋 」が架かっている。 2020年07月14日撮影-2 昔は土橋であったと思うが正に名のとおり豊原が栄えることを願って命名されたものだ。大正13年11月に豊原に「長門三隅駅」が設営され道路が整備されたころか...

雨の小波橋

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昨年の8月末に大雨による警戒レベルが「3」から「4」となった日のことを思い出すほどの雨が昨晩から降った。 まずは昨年の写真から・・・ 2019年08月28日撮影 8/28・・・警戒レベル「3」 2019年08月29日撮影 8/29・・・警戒レベル「4」 この時は8月末なので秋雨前線?の影響となるのだろう。 そして今朝の様子。 2020年07月14日撮影 増水量や濁流の色からするとまだ大丈夫そうだ。 ところで「橋」に刻まれた銘板の話。 橋名 竣工年月日 ふりがな表記 河川名 道路の名称:  県道285号野波瀬港線 起点: 野波瀬港 終点: 二条窪交差点 そして橋名板は次のようになっている。 ①道路起点側から見て左: 河川名「三隅川」 ②道路起点側から見て右: 橋梁名「小波橋」 ③道路終点側から見て左: 竣工年月日(完成年月日?)「平成三年六月完成」 ④道路終点側から見て右: ひらがな表記の橋名「さざなみはし」 橋の名前のひらがな表記は「さざなみはし」というように濁らない「はし」で刻まれている。これは川が濁らないように、という願いを込めたことだと聞いたことがあるが真偽は分からない。 地元では「さざなみばし」と濁った言い方をしている。 濁ってほしくないので今後は「さざなみはし」と言うようにしようか?

青海大橋の袂から

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仙崎半島先端から青海島に架かる青海大橋の袂に「海外引揚げ上陸跡地」という標が立っている。今回はこの付近の風景のこと。 小雨が止んだ隙間に撮影したものなので全体的に暗い。 2020年07月12日撮影-1 2020年07月12日撮影-2 2020年07月12日撮影-3  正面に弁天島が浮かぶ、と書きたいが今は人工島からの陸続きとなった。 2020年07月12日撮影-4  青海大橋へと上っていく袂となる地でもある。 2020年07月12日撮影-5 目線を少し北側に逸らすと大泊山が聳える。この山の向こう側が大日比漁港になる。 昔の地形図には「瀬戸崎」と記された仙崎半島の先端の風景は地図で見るよりスケール感が大きい。 これまでも何度となく仙崎の風景を残してきたが、改めて「仙崎を歩く」シリーズの第1回として残しておく。

山アジサイの撮影

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山に生えているから「山アジサイ」と書いたが、「ヤマアジサイ」という種類のアジサイ?があるそうだ。 迂闊に勝手な命名は出来ないと思った。 ということで「山のアジサイ」にしよう。 今の季節、すでに遅いが普通のアジサイの写真。 2020年07月09日撮影-1 2020年07月09日撮影-2 杉木立と相まって素敵な写真と思ったら、1枚目の写真は木霊?がたくさん写っているではないか!2枚目の写真には何も写っていない。 雨が降っていたわけではないので、雨粒の反射ではないようだ。 「オーブ」と言って良いのかわからないが不思議な現象だ。決して目には見えないがカメラで撮影すると写ることがよくある。それも山の中の特定の場所ばかりのように思う。 不思議なことだが森の精霊たちの御挨拶と思うようにしている。