豊栄苑と豊栄橋

豊原より野波瀬へと左折すると小波橋を渡る寸前に小さな苑がある。
花壇に治水工事完工の石碑が建つこの苑は「豊栄園(とよさかえん)」と呼ばれる。
「豊栄苑」が出来たのは昭和38年と思われる。三隅町が稲田正治町政(昭和26年4月~昭和42年4月)の頃で、後年の広報の記事には次のように紹介されている。
[以下は広報からの抜粋]
河川改修の残土で作った豊栄苑に、改修完成記念に建てた周東英雄先生の揮毫に成る「以治水郷土安泰」の碑は、之を郷土三隅に永久に伝えるものである。

2020年07月14日撮影-1
2019年08月28日撮影-1

2019年08月28日撮影-2
 この石板には「豊榮苑 昭和38年 山口県国体開催記念」と記銘されている。東京オリンピックの前の年に山口国体が開催され、その時に豊栄苑前の国道を昭和天皇が通られている。


2019年08月28日撮影-3
[以下は広報からの抜粋]
 昭和二十九年九月二十六日、台風十五号に依る前古未曽有の大災害を受け、堤防は各所に大決潰を起し、道路は寸断され、三隅平野は全域が濁流の海と化し、市、土手、中村、湯免、久原、豊原、平野等の下部落に多数の流失、決潰、及び浸水家屋を生じた。
自分(稲田正治 町長)は寸断された鉄道伝いにやっと役場へたどりついたが、役場も床上浸水で目もあてられぬ。・・・以下省略
(注)この時の役場は昭和29年であるから木造の三隅町役場の時代。


2019年08月28日撮影-4

2019年08月28日撮影-5
昔を偲んで色々なことを思う。二度と遭ってはならない経験や古人の思いが詰め込まれた地として豊栄苑は出来ている。今だからこそ余計に思う。「治水を以て郷土は安泰となる」

撮影年及び場所不明
上の写真は背景と銘板の位置からして現在の場所ではないようだ。後年に今の位置に移されたのであろう。ひょっとして小波橋の付替え工事の時に移動したのではないかと推測する。

そして旧国道には二条窪川を渡る「豊栄橋」が架かっている。

2020年07月14日撮影-2
昔は土橋であったと思うが正に名のとおり豊原が栄えることを願って命名されたものだ。大正13年11月に豊原に「長門三隅駅」が設営され道路が整備されたころからの命名であるはず。


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