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10月, 2020の投稿を表示しています

ジョウビタキとモズ

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 今月(10月)に入って必ず毎朝夜明けから窓の外で「キッ キッ キッ」と鳴いて起しに来る(人間の勝手な想い)ジョウビタキがいる。 黒と鮮やかなオレンジのとってもきれいな小鳥で、白い模様が無ければヤマガラと間違えそうな可愛いやつだ。 2020年10月27日撮影 2020年10月27日撮影 そして次にやってくるのがモズ。 2020年10月27日撮影 2020年10月27日撮影 下は同日に上東方で見つけた電線の一軍。 2020年10月27日撮影 近づくと飛び散ってしまったがたぶんカワラヒワの大群。 三隅川にはカモも浮いているしいよいよ冬鳥の観察シーズンとなった。そして昨年は確認できなかったサケの遡上も楽しみだ。

三隅川橋梁 夏から秋へ

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 三隅川橋梁を渡る列車の背景の久原山の様子を比較する。 2020年08月30日 14:59 2020年10月24日 16:54 1枚目は8月30日の午後3時ごろ 2枚目は10月24日の午後5時前 同じカメラで撮影したものだが2枚目は夕日が眩しく、ちょっと比較には適さないかもしれないが久原山の黛色の違いだけを見ると残したくなった。 夏色と秋色とでも言おうか、明らかに山が違ってきている。 香月泰男画伯が描くとどのようになるのだろうか、と思いが過った。

旅館長惣のこと

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 赤間関街道北道筋のことや豊原の旧道のこと等で何度か取り上げた旅館長惣さんのこと。 2020年10月20日撮影 玄関前にあった「馬嶋食料品店」だった建屋が解体されてこのような角度から旅館の全貌が撮影できるようになったのだが、悲しいかな旅館業は既にやめられている。 同窓会などで利用させていただいたことはあるのだが、宿泊したことは無かった。 (一度は泊まってみたかった。今になって後悔している。) 元々は料理屋さんだったようで、「御料理・仕出し・御中食」や「生魚仲買」と書かれた時代もあったようだ。 最初の写真を旅館だけ切り取ってみた。電柱や電線が無ければ素敵な旅館風景になる。 過去の写真を付け加えておく。 2006年04月09日撮影 馬嶋食料品店側からの様子。 2007年05月21日撮影 旅館長惣の正面玄関の様子

大日比のナツミカンは

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 以前書き込んだことがあるが、青海島の大日比にナツミカンの原樹がある。 2020年01月19日撮影-案内板 2020年01月19日撮影-原樹 2020年01月19日撮影-原樹前のクローン 能書きを並べ立てるより写真だけで説明。 そしてこちらは 萩の笠山 の散策路にて見つけた萩市の案内板。 2020年10月18日撮影-笠山にて 違った地で「結びつき」を発見した気がしてちょっと嬉しい。 散策の途中にこんな看板も見つけた。 2020年10月18日撮影-笠山にて 恥ずかしながら何処にその樹があるのか分らなかった。 地元や近隣の地であっても知らないことがたくさんある。この歳になって欲張りになってきた。

三隅の祠とお地蔵様~大水峠

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 お世話されていた方(栢木の方?)のエリアからすると秋芳町の管轄になるかもしれないが、場所は湯免ダムより続く大水峠トンネルの上の稜線上にいらっしゃるお地蔵様。 2019年04月13日撮影 お地蔵様の位置は 三隅町と秋芳町の境界となる主尾根のコル部 で、尾根自体は権現山と天井山を連亘する。つまりこのお地蔵様の前を通って秋芳と三隅を行き交っていた時代があったわけだ。台座を見ると元号は明治の時代のようだが、それ以前からお地蔵様に見立てた石塊(台座の下?)だけが置いてあったのかもしれない。 此処でいっぷくする古人の姿を想像するとちょっと楽しくなる。 現状としては三隅側の辻並へ下る道は、何時からか消失してまともに歩ける状態ではない廃道となっている。 ちなみにこの尾根は天井山より秋芳の大谷山、大滝、荒ヶ峠を経て花尾山へと連なる。

三隅の祠とお地蔵様~仏の垰

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 三隅の山城が在ったとされる 新宮山の東側 に広田から豊原の土井の内を通って二条窪につながる道がある。その道の二条窪との境となる峠を「 仏の垰 」と云うらしい。 その仏の垰の山裾に隠れるようにいらっしゃるお地蔵様がある。 2020年07月24日撮影 2020年07月24日撮影 苔むした台座には安永七年三月と銘打ってある。1778年のことだ。 さらに総合運動公園(ふれあいパーク三隅)の奥の溜池の傍にも堂中にお地蔵様がいらっしゃる。 2020年07月24日撮影 2020年07月24日撮影 このお地蔵さまはブロック造りのお堂にいらっしゃるので年代は新しいのかもしれない。 [参考] 新宮山は県道268号豊田三隅線とふれあいパーク三隅(三隅町総合運動公園)に挟まれた標高91mの低い山である。

香月医院のある風景

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 旧木造校舎の頃の明倫小学校の正門横にあった香月医院の建物とその近辺風景は、自分にとっては昭和40年代の記憶をとどめたままの貴重な風景だ。 2017年12月03日撮影 2018年04月22日撮影 2018年04月22日撮影 2018年04月22日撮影 昔の記憶と違うところは、ブロック塀が確か白い木枠の塀だったような気がする程度で建物は当時のままのように思う。 現在はその塀も上の写真よりさらに新しくなって建屋も面影を残したままきれいに修復?されている。貴重な建築物だ。 個人宅を勝手に撮影して少し気が引けてはいるが、残しておきたい風景と思いお許しを願いたい。

東関渕の今

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 上東方の三隅川沿いに今は使われていないポンプ小屋がある。そのポンプ小屋の下あたりを昔から東関渕と言っていた。とっても神秘的で深い淵だったことはよく覚えている。 この辺りまで毎年サケが産卵に遡上してくるのだが昨年来その姿が確認できない。 (過去には小波橋よりもっと上流まで遡上していたのだが今はこの辺りまでしか確認できない。) 12年前の様子と今の様子を比べてみた。 2008年01月08日撮影 2008年01月08日撮影 2008年の様子は水際に葦や水生植物が生えていないし、水域がさっぱりしている。 ところが今は下の写真のように水面まで覆いかぶさっている。 2020年10月16日撮影 2020年10月16日撮影 カモやオオバン、そしてヌートリアなどの外来生物も住処としているほど鬱蒼としている。 台風などの自然災害で土砂が溜まってきた結果ではあるが、サケの個体数が減ってきたのは、今までここには居なかった生物が生息しているからではないか?と思ってしまう。 それともう一つが東関渕のすぐ下にたくさんの空き缶やごみの入ったレジ袋などが 不法投棄 されている。最近になって特に目立ってゴミが増えている。写真に撮るのも悍ましい光景なのでさすがにシャッターを押さなかったが、監視カメラでもつけて何とかならないかと思う。 今年もサケの姿が確認できそうにない。

三隅公民館前の樹々

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 三隅公民館前のメタセコイアの雄花が垂れてきた。 2020年10月11日撮影 横から見るとこんな感じだ。 2020年10月11日撮影 2年前まではもう一本のメタセコイアが三隅中学校側にあったのだが伐採されて今は無い。ひょっとしてそちらが雌花を咲かせていた雌だったのかもしれない、と今になって思い始めた。 元、中央保育所のグラウンドの隅にあったイチョウは仲秋の季節真っ盛りの彩を見せている。こちらも雄だ。(銀杏が出来ないし葉が小ぶり。) 2020年10月11日撮影 下から見ると大樹の雄だ。 2020年10月11日撮影 樹下の芝生には昨年の枯れ落ち場と今年の落ち葉が混ざっている。 2020年10月11日撮影 たぶん今年の晩秋には見事な彩を見せてくれることだろう。 昨日、西側から三隅中学校を見ると、風景がすっかり秋色になっている。 2020年10月14日撮影 上の写真の部分拡大 権現山の尾根と谷が見事な凹凸を見せており、険しい山であることを知らしめている。その昔、「高尾山」と言われた秀峰だ。 同じ日の夕刻に撮影した権現山の裾野と三隅中体育館。 2020年10月14日撮影 くっきり感は無くなったが偶々やってきた列車を遠目で撮影。 ローカル線にはこの色が良く似合う。 えっ!ここは山陰本線だ。ローカル線ではなかったはず!改めてびっくりする。

三隅の祠とお地蔵様~豊原墓地

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 以前に長門三隅駅が出来たときのことを書いたことがあったが、当時の鉄道院が豊原墓地の土地を買い取って?駅を造ったため墓地を西側に移転した。当時の豊原の人々は豊原に駅ができることを鉄道院や県に陳情したらしく、完成時には餅まきをしたり角力大会を催したりして大歓迎をしたようだ。 長門三隅駅南西側の現在の豊原墓地は、岳ノ山から伸びてきた尾根の緩やかな丘陵地にある。そこにいらっしゃるお地蔵さまだ。 2020年08月22日撮影 2020年08月22日撮影 駅ができる前の大正12年の頃に現駅前辺りにあった六地蔵を移転したとの事。 (豊原墓地の東入り口にも小型の六地蔵があるらしく、大正末期に豊原部落で建立したものらしい。) 2020年08月22日撮影 これが移転のために使用した生活道(赤線?)であろう。もしそうであったら鉄道が敷かれる前からある道だ。 2020年09月23日撮影 駅前の商店のすぐ横を道が通っている。ここに続いていたものと思われる。 [参考] 長門三隅驛は正明市驛から美禰線の延伸で大正13年11月3日に開業している。当時はまだ「三隅村」の時代だ。

久原の花土手

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 今年もコスモスがきれいに咲いた久原の土手。よく見ると様々な花があることに気付いた。 2020年10月11日撮影 2020年10月11日撮影 2020年10月11日撮影 天気予報は晴れだったのだが全く違って夕方には雨も降りだした。 権現山と天井山が背景に聳えている感じを撮影したかったのだが全く駄目だ。 ということで風景がだめなら花の撮影は?と切り替えた。 ポケット図鑑「日本の山野草」を片手に写真を見ているが、コスモス以外は名前がさっぱりわからない。 実を言うと本当はここに 野鳥の観察 にわざわざ寄ったのだが、鳴き声はするが姿を全く見せない。一昨年来ここでエナガやヤマガラ、そしてカワセミなどを観察出来ているのだが、この日はアカゲラかコゲラの木を突っつく音とヒヨドリの鳴き声のみだった。 自宅周辺にはモズが見られるようになった。今年は冬が早く来そうな雰囲気だ。

三隅の祠とお地蔵様~野波瀬浦

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 野波瀬の旧道を話題にすると、たいていの場合昭和30年代には此処をバスが入っていた、という話が出る。確かに自分も微かな記憶があるのだがボンネットバスだったかどうかまでは覚えていない。 (疫神様手前の回転場まで来ていた時代ははっきりと覚えている) この旧道を漁協に向って下っていく途中に地蔵尊がある。 2007年10月28日撮影 2018年10月08日撮影 化粧姿の何とも個性的なお地蔵さまだ。毎年8月24日に地蔵まつりが行われ、東善寺の住職によってお経があげられる。 ところでこの旧道を室生に向かうとその途中、集落排水施設へ向かう山道の入り口に祠がある。 2017年12月01日撮影 道祖神であるのか、室生の観音様なのかわからないが判明したらもう一度書き残すことにする。 野波瀬のすぐ沖に「幸島」という無人島があるが其処には「沖の明神」、「中の明神」、「地の明神」という祠があるそうだ。これも機会があったら残したいと思っている。