おつかれさま5時です

 生活空間にテレビの無い生活をしていた昭和51年から59年までの約8年間はラジオだけで過ごしていた。学生時代から就職してしばらくのことだが実家に帰省した時のみテレビを見ていた。つまりこの期間はメディアの映像記憶がほとんどない耳からの情報だけで生活していた。(単にテレビを買う余裕がなかっただけ。)

SONYのラジカセ

そんな生活がスタートした昭和51年(1976年)3月のこと、初めて一人で暮らし始めて下宿へ帰ってきた夕刻のラジオ番組のこと。

おつかれさま若山弦蔵です!」とスタートするTBSラジオの「おつかれさま5時です」という番組だったかな?軽い時事や都内の交通情報など聞き流すにはもったいないほどの心地良い低音がラジオから流れだす。どんな方なのか何十年間も顔も知らずにいた「若山弦蔵さん」が先日亡くなられた。

すでに悼み偲ぶことしかできないが、当時の生活の色々なシーンが思い浮かぶ。それと同時に思い出したのが小沢昭一さんの「小沢昭一的こころ」や共同石油のラジオCM。同年代にこんな話してもなかなかチューニングできず、人それぞれの記憶や感性があるわけだが私にとって「若山弦蔵さん」の心地よいおしゃべりは外すことが出来ないアーカイブスの1ページだ。


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