火の見櫓のこと

 先日、豊原コミュニティセンターの前に在った火の見櫓(ひのみやぐら)が撤去された。無くなったことを聞いたのが突然だったのでびっくりした。

2019年01月19日撮影

2019年01月30日撮影

2020年01月07日撮影
上の3枚の写真は櫓が在りし日の風景だが、やぐら基礎部の説明書きプレートを撮影した写真を紛失してしまって詳細が思い出せない。
この写真に写っている櫓はそんなに劣化したものには見えなかったが基礎部は昭和30年代初頭のものだったように記憶している。その昔はサイレンがあったか半鐘があったかまでは記憶にないが櫓の隣に砂場と高鉄棒があったことは覚えている。今のブランコのある辺りだ。

2021年06月23日撮影

この鉄塔タイプの火の見櫓は昭和30年代から40年代にかけて全国で建設されていったと聞いたことがある。起源はたぶん江戸時代であろうが町の風景と同化したこの櫓は電信柱などより愛着がわく。現代は携帯というよりスマホのための鉄塔(中継器やアンテナ)が目につくがすでに町の風景と同化しつつある。

[後記]
櫓だけでなく隣の「くまの」さんも建屋が無くなっている。現地を見てびっくりだ。移転されたのであろうか、もしやめられたのなら巻きずしファンの私は残念だ。

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