権現山の調査

 [権現山]
五六〇メートル、大平峠の上にあって字兎渡谷(とどろく)の背にあり、美祢郡秋芳町嘉萬(かま)と境している。・・・「三隅の歴史と民俗」より

以前より何度も書き残してきた「兎渡谷」と「権現山」のことだが、どうしても知りたい場所があり、先月末に再調査に行った。
それは又聞きではあるが「兎渡谷より神楽を納めるために登っていた登山道?の頂上手前に、社が在ったような跡がある」ということを聞いてしまい、どうしてもその遺跡?を見たいという衝動に駆られてしまった。

以前に何度か登っては探し回った辺りは地理院の現在の地形図で判断したもので、今回は平成2年発行の30年以上前の地形図に基づいての調査をしてみた。(調査と言っても素人が単に歩き回るだけのもの)

2018年10月13日撮影
桂木山から観た権現山の稜線。神々しくそして美しい。

現在の地理院地図
上と下の地形図を比べてみると山道の谷ルートがかなり違っている。今回は不確実な山道をあてにできないので登山ルートはいつものとおり大水峠より権現山山頂を目指し、頂上から兎渡谷集落に向かうルートを下の地形図の楕円のエリアに絞って調査した。

平成2年発行の地理院地図

2018年12月31日桂木山より

2019年9月8日_権現山頂上
この頂上で1444年より1572年まで神楽舞を奉納していたと三隅八幡宮の文献に記されている。昔はたぶん日本海が見渡せたのであろう。

そして下の写真が現代の兎渡谷神楽の奉納の様子。
2019年9月16日_三隅八幡宮にて奉納

2019年9月16日_三隅八幡宮にて奉納

そして今回発見した社の跡地の様相を感じられる場所が下の四枚の写真。
2021年05月30日撮影

2021年05月30日撮影

2021年05月30日撮影

2021年05月30日撮影
ひょっとしてこの地にて神事を行い、その後頂上で舞っていたのか?と思うと数々の妄想が湧き出してきた。古の人々の気配を感じてその生活を想像すると感慨深い。

帰りはもう一度この場所から頂上を目指しヘトヘトとなり、古人のたくましさを感じた。
2021年05月30日撮影
そして大水峠へと引き返し峠のお地蔵様にご挨拶をして無事下山した。

仮に場所が違っていても大変満足な山歩きとなった。

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