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公衆電話のある風景~番外編

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昨年だったか、「公衆電話のある風景」を残していったが最近 新しく公衆電話ボックスが設置 された場所がある。 それは下の写真のように三隅保健センターの正面入り口横なのだが、気がついたのがちょうど山口県知事選挙の期日前投票を行っている最中だった。 2018年01月22日撮影-1 2018年01月22日撮影-2 後から思ったことだが、「そういえば旧三隅町役場の横にも公衆電話ボックスがあった!」のだがそれの移転( ナンバーだけの移転? )かもしれない、と思った。 下の写真は2年前のものだが今となっては懐かしく思える。 2016年05月18日撮影-1 2016年05月18日撮影-2 さらに思ったことがあるので書き留めておこう。 小学生や中学生に硬貨やテレフォンカードを持たせて、公衆電話のかけ方を教える課外授業はないのか? (「電話をかける」という言い方は正しいのか?とも思った。) もしおこなっているなら素晴らしいと思うが、今時はこんなことはしなくても良いのか?そういえば私たちも教えてもらったことはないような・・・見よう見まねで覚えて行ったことの一つである。今は見よう見まねが出来ないことの一つになってしまった。 ひょっとしたら電話ボックスに入ることに違和感を感じる時代なのかもしれない。 ボックスの中は風の音や騒音が遮られてとっても通話がしやすかった記憶がある。自分自身も最後に公衆電話を使ったのは何時のことかが思い出せないくらい昔のことになっている。 災害時の訓練にテレフォンカードを探してぜひとも使ってみようと思っているが、さてどこにかけようか?

岳の山(343.9m)へ

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「岳の山頂上から下界を眺める」というタイトルにしたかった今回の山行き(山歩き)の記録は、山頂まで行って変更せざるをえないことが分かった。 前日にどの程度の装備で行けばよいかを判断をするため、空いた時間に中腹までの登山ルート?を軽装備で往復20分ほど歩いてみた。 2018年03月17日撮影-1  最初は大量の杉の落ち枝に悩まされて上り斜面を滑りながらルートを歩くと・・・ 2018年03月17日撮影-2 倒木や竹が覆いかぶさった個所が何箇所も現れた。 2018年03月17日撮影-3 標高150m辺りまでこんな道?ばかりだった。 ということで翌日それに見合った装備で再度登ってみた。 2018年03月18日撮影-1  ひたすら尾根を目指して登ってみると尾根道は歩きやすく楽だった。 2018年03月18日撮影-2 尾根沿いに中国電力の送電線の鉄塔があり、それを横目にさらに山頂目指して通過。 (ここまで来て、送電線や鉄塔のメンテナンス等のための登山ルートを利用したように思った。) 尾根道がとってもわかりやすい場所。(両サイドが下っている。) 2018年03月18日撮影-3 2018年03月18日撮影-4 山頂付近で「林業公社」という新しい杭を見つけた。 山頂到着!と思いきや・・・ 2018年03月18日撮影-5 2018年03月18日撮影-6 頂上辺りを360度眺めても雑木などが邪魔をして何も見えない。 ちょっとがっかりしたがここでしばらく休憩。 三角点を探したが見つからなかった。 山頂で最初に感じたことが「空気の匂いが下界と違う」ということだった。低山ではあるが山頂の雰囲気は何かが違う。 それとマスクなどしていなかったが花粉症の症状が現れなかったのは気のせいか? 聴いたことのない鳥?の鳴き声が響き渡っていた。 所々の立木にシカ?が角をこすった跡がある。 下山途中にちらりと桂木山が見えたがこれ以外に風景として見えたものは何もなかった。これからの季節はもっと見えなくなるだろうと思う。 2018年03月18日撮影-7 人があまり入らないせいか歩きづらい箇所ばかりだったように思う。足腰を鍛えるには良いかも...

岳の山を下から眺める2

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毎日のように下から眺めている 岳の山(343.9m) は、以前に東海道五十三次の風景と比べたようにとてもきれいで特徴のある低山だ。 まずは西側から眺めた風景を観ると、その麓は平野地区に拡がり国道191号線三隅バイパスからとても良く見渡せる。 2018年02月16日撮影-1 2018年02月16日撮影-2 北側から眺めると手前は豊原地区に見えるが実際は上ゲから平野地区に広がる。 2018年02月24日撮影-1  東側は二条窪側に屹立したような恰好となっている。 2018年02月24日撮影-2 上の2枚の写真のように北側の三隅川から眺める風景(上東方より撮影)は場所を訪ね歩くとけっこうな明媚さを拝める。 さあ、今度は「岳の山頂上から下界を眺める」というタイトルにしよう。いざ出発! 2018年02月24日撮影-3

清酒山猿のこと

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以前、ここで「 山猿 」というお酒のことを書いたがその原料となる酒米を育てているグループの一人に話を伺えた。 (中学時代の同級生だった。) 「山田錦」という酒米を育てていると思いきや、今は栽培の最も難しい幻の酒米「 穀良都(こくりょうみやこ) 」という品種に挑み栽培に成功したということだ。 特別純米にごり酒 裏ラベル 箱の説明書き この「穀良都」という酒米は2年ごと程度で作る場所を変えているようで稲の高さが普通の飯米と違ってかなり背高だそうだ。 そういえば裏ラベルの写真をみてもちょっと高いのがわかる。 昨年の夏にこれらのことを知らずにたまたま該当箇所を撮影した風景があった。 2017年08月10日撮影-1 2017年08月10日撮影-2,3  上の写真は同一の日の同一の場所で撮影した品種が違う稲だが右側は稲穂どころかまだ伸びようとしている感じだ。たぶんこれが「穀良都」ではないかと思う。 2017年08月31日撮影 さらに昨年の夏に何箇所かで明らかに品種が違う(成長の度合いが違う)ために風景色が違っている稲を見て来た。とってもきれいであり美しく感じられた。 グダグダ説明するよりも箱の裏書がすべてのことと思う。 農業と共に生きる! 山口県の西北、長門市に三隅酒米グループがある。 彼らは、稲作の栽培技術に優れ、自分の技術を過信することも無く、互いに研究熱心。 長年の経験を生かしながら、チャレンジ精神を忘れない。 美味しい飯米づくりを目指し培った技術を生かし「山田錦」をちゅうしんとする酒米作りを手がけ、栽培の最も難しい幻の米「穀良都(こくりょうみやこ)」にも挑み栽培に成功。 魂のこもった優れた酒米を、但馬杜氏の技が見事に生かす。 農業中心型ブランドとして「山猿」が誕生した。 冷で良し。お燗して良し。古き良き時代の良いお酒。 食事を楽しくしてくれるお酒。 山陽小野田市の「 永山酒造 」さんにも拍手!を捧げたい。

1枚の写真から

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つい先日のこと、国鉄時代よりSLの運転をされていた方から「 SL青海島号 」の写真を見せていただいた。 1992年10月09日撮影-複製等禁止 長門市駅を出発する「SL青海島号」の雄姿が撮影されたものだ。写真右下の日付を見ると「92.10.9」となっている。ちょっと驚いた。 「SL青海島号」という機関車を知らなかったし、1992年に長門市駅をSLが走ったことに驚いた。 (私は特に鉄道ファンではなく、列車のこともあまり知らないのだ。) そこでこの日のことを調べてみて色々なことを知った。 まず「1992年(平成4年)10月9日」に何があったかと言うと、「広報ながと」によると・・・ 平成4年 広報ながとより-1  竣工当時の青海島観光基地の様子 平成4年 広報ながとより-2 というように旧長門市にて「 青海島観光基地 竣工まつり」というイベントが開催されており、その初日に美祢線、厚狭駅~長門市駅間を「 SL青海島号 」がイベント列車?として運行されている。 ということはこの資料からすると最初のカラー写真は1992年10月9日の15時32分過ぎに撮影されたものと推測できる。 平成4年 広報ながとより-3 さらにそれ以前の長門市の広報を確認すると、このイベントの事前のお知らせにて下のような写真が掲載されていた。 平成4年 広報ながとより-4 丸いエンブレムをよく見ると「やまぐち」と書いてあるのだ。 写真のタイトルは「SL C57 1型 貴婦人」となっているのでひょっとしたら「SL青海島号」は「 SLやまぐち号 」をイベントの日だけヘッドマークを取り替えて運用されたものかもしれない。 ところでこのイベント会場の「 青海島観光基地 」だが、今はなんと「 センザキッチン 」と名を変えて賑わっている。 【後記】 最初の広報ながとの資料1を見るとタイトルが「あなたも日本一の”ちくわ”づくりにチャレンジ」となっている。 今の長門市は「日本一長い”やきとり”」を”やきとりンピック”などでPRしている。(会場の場所は違います。)

大寧寺の顕彰碑

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以前書き込んだ中原篷女医の顕彰碑が長門市湯本の大寧寺にもある。 なぜここに顕彰碑があるのか、理由や経緯は分からないが現地に行けば何らかの情報が得られるかもしれないと思い少し時間を割いて行ってみた。 2018年03月13日撮影-1 2018年03月13日撮影-2 2018年03月13日撮影-3 顕彰碑の裏側に手がかりがあると思ったが個人の名前と建立の日?が銘記されているだけで特に情報は得られなかった。市の観光課か教育委員会に行けばわかるのかもしれないがそれはやめておこう。 2018年03月13日撮影-4 2018年03月13日撮影-5 またいつか分かったら残すことにしよう。 すぐ横を流れる音信川は潺(せせらぎ)の音を楽しめる場所なのだが、沿って走る県道34号は工事用のダンプカー等の騒音だらけで今はいたしかたがない。 もう少しすると桜の季節になるが、私は今の早春の頃の風景の方が好きだ。寒いのは嫌いだが風景としては今の方が好きだ。観光客らしき方が2組ほどいらっしゃったが同じ思いの方々かも知れない。 近いうちに今の季節の大寧寺の風景もここに残そうと思っている。

洞窟絵画のこと

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2018年2月24日(土)の毎日新聞に下記のような記事を見つけた。 2018年02月24日の毎日新聞より この手の記事や教科書等の資料を読んでいつも思うことがある。 その当時の人類(ネアンデルタール人?)がどんな格好で何を手にしてどんな思いでこの壁画を描いていたか?ということを想像してしまう。 例えば現代の人々が集団生活をする中で、今食べているものや暮らしの様子を絵に残そうとする人がいるか、というとほとんどいないのではないか。ましてや6万年前のインスタグラム?とは絶対に言えない。 タイトルに「洞窟絵画」と書いたが、動物の狩猟や植物の採取で暮らしていた時代になぜ洞窟の中の岩に画を描いたのか?という疑問が最初に湧く。絶対に現代で言う芸術行為ではないと思うが、突然変異でアート感覚を持った人物が現れたのだろうか? フランスのラスコー洞窟、スペインのアルタミラ洞窟、アルジェリアのタッシリ・ナジェール洞窟と旧石器時代の人類が残してきた岩絵は資料を見る限りは明らかに芸術センスを感じられるが、この新聞の記事の壁画は芸術性より説明画、又は挿絵のように感じる。 誰かに説明をするために描かれたような抽象画的なイメージだ。 ラスコーの洞窟壁画(山川世界史より引用) 上のラスコーの壁画を見る限り、芸術性に富んでおり見事なタッチで線が画かれている。いつの時代にも優れた画力を持った人がいるものだと感心する。 当時の人類の気配を想像すると楽しくなってくる。