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草添山の冠雪

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冠雪とは言っても期待外れのような雪の量だが、今期初めて見た山の冠雪だ。 2020年02月09日撮影-1 2020年02月09日撮影-2 この板持の背となる「 草添山 」は下から見るとどっしりとした山で、名前の「草添」とはちょっとイメージの違った標高517.4mもある雄大な山だ。(長門市駅前などからも見えます。) 旧、日置町の畑集落(畑ダム)に流れる草添川があるところをみると日置側から命名された山なのであろう。そういえば旧・日置農高の石杭を山道で見かけたことがある。 板持より小浜に抜ける「近松ロード?」を深川川の河川敷側を見下ろすと太陽光発電の施設が広がる。 2020年02月09日撮影-3 この施設の在る「ながとスポーツ公園」もすっかり風景に馴染んでしまった。 寒風が吹き抜けるこの日は人の気配は無いだろうと下りてみると何かのスポーツ行事?があるのか駐車できないほど車が並んでいた。

白藤醫院のこと

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以前にも書き残したことだが、気になることがありもう一度書き残す。 長門三隅驛が美禰線の延長で正明市驛より延伸されて大正13年11月3日に営業を開始された。 それを記念して当時の三隅村役場が発行した冊子に以下のような広告ページがある。 三隅村役場発行の小冊子より  「三隅市」とは当然「市(いち)」集落のことだが、ある長老にお聞きしても市には「小林歯科医院」は在ったが「白藤醫院」が在ったかどうかは知らないとの事。今はほぼいらっしゃらない明治~大正生まれの方でないとわからないであろう。 そしてこの広告に記された「長門三隅驛前診療所建設中」の醫院は三隅で生まれ育った昭和生まれの方々がほぼ知っている「白藤歯科医院」であろう。 2008年05月06日撮影 2014年12月12日撮影  そして取り壊されてしまい、今は全く違った風景となってしまった。 2017年10月29日撮影 長門三隅駅前(ほぼ真正面)にこのような風景が在ったことはまだ記憶に新しいが、とっても大切な役目を果たしてきた施設や建造物が風景と共に人々の記憶から無くなっていく。 いたしかたが無いが何かの形で気配や記憶を残せないか、と思う。

梅は咲いたか、桜は?

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昨年の同じ時期に、いこいの森の下(香りの森?)で梅の満開を堪能した。 そして今年は長門市総合公園テニスコートの上で紅白の梅を見た。 2020年02月02日撮影-1 2020年02月02日撮影-2 2020年02月02日撮影-3 そして桜の枝を見ると・・・ 2020年02月02日撮影-4 咲き始めている。 ちょっと早すぎるが何という種類であろうか? [後記] 「梅」というと思い浮かぶのが「梅干し」と「メジロ」。 「梅干し」にする梅の実が生るのは白い花の咲く梅、って聞いたことがあるが真相はよくわからない。 それと「メジロ」という小鳥はまぎらわしくも梅の花が咲くとよく見かける。実際はウグイスよりもきれいでかわいい鳥だ。ウグイスは雑木の中に隠れてなかなか姿を見せない。鳴き声だけはよく聞く。

琴橋付近から

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三隅川の最下流に架かる橋は 琴橋 というが、話の中では「小島の橋」と言ったほうが分かりやすいことがよくある。 昨年の1月に撮影した小島の入り口から下東方辺りの風景を見てみる。 2019年01月14日撮影-1 2019年01月14日撮影-2 2019年01月14日撮影-3 2019年01月14日撮影-4 2019年01月14日撮影-5 2019年01月14日撮影-6 2019年01月14日撮影-7 2019年01月14日撮影-8 2019年01月14日撮影-9 2019年01月14日撮影-10 高校生だった頃に自転車通学をしていて、国道の通行があまり好きではなかったため帰り道はいつもこの橋を渡って三隅川を眺めていた。 目に焼き付いているとまではいかないが、色々と変わってきている風景の中に昔と変わらないものを見出すと、少しながら落ち着く。 ただ「あの頃」は記憶が美化されている部分があって、実際は汚染された風景が結構あったように思う。 そしてこの辺り一帯から結構な悪臭がしていた時期もあった。 そのころを含めて知ったうえで、美しい故郷だ。

赤間関街道北道筋の廃道~その1

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萩の唐樋町を発し、濁渕を西に進む「赤間関街道北道筋」には現在廃道と化したエリアが何ヶ所かある。 鎖板峠(現・鎖峠)の市町境界より廃道と化した七曲道を白拍子盆地へと下りると、日尾山より流れる日尾川に架かる「 鎖板橋 」を渡る。 この鎖板橋は元々が土橋であったらしく、大正初年に石造のアーチ橋に改修されたと記されている。 三見橋(眼鏡橋)と同じ工法で造られた貴重な橋だが、今は写真のように廃道となってしまった。 2020年02月02日撮影-1  何の写真やら判らないのでサイズを落として説明書きを付けて残す。 上と同じ写真(説明付き) 説明のテキストを貼り付けても判りづらいほど荒れた廃道だ。 アーチ橋がどこにあるかが気が付かないほど荒れていた。 2020年02月02日撮影-2 上と同じ写真(説明付き) 鎖板橋の橋上、といっても判断ができない。 といった訳で思い切って日尾川に降りてみた。 (日尾川はこのすぐ下で追分川に合流する。追分川は三隅川の支流だ。) 2020年02月02日撮影-3 上と同じ写真(説明付き) 何とかアーチ橋は判るがひどい荒れようだ。 ところで三見の眼鏡橋は・・・ 2019年09月26日撮影 このようにとっても立派に残されている。 [後記] 国土地理院の地形図を基に街道や旧道を散策するが、道が在った気配もないほど荒れた箇所に出くわすことがよくある。誤記入か?とも思える地点で迷いながら山道を散策するのも新たな発見が在ったりしてさらに興味が湧いてくる。 古人の気配を感じられたり遺物が発見(文献には既に在るが目の当たりにした時)できたりした時は何とも言えない悦びを感じてしまう。歳を重ねたせいか・・・?

宗頭の大歳神社

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赤間関街道北道筋の現代の風景を散策?途中に、三隅地区宗頭の大歳神社に寄った。 2020年01月26日撮影-1 2020年01月26日撮影-2 2020年01月26日撮影-3 この石段は濡れているとかなり滑る。ちょっと危険かもしれない。 2020年01月26日撮影-4 額束に記銘されている文字が読めない。「三寶」はさんぽうか? 「大?神社」も大歳の当て字か?  2020年01月26日撮影-5 防護フェンスがこんなところにも張ってある。かなり獣害が深刻なのであろう。 2020年01月26日撮影-6 2020年01月26日撮影-7 これは庚申塔(庚申塚)なのか? 2020年01月26日撮影-8 2020年01月26日撮影-9 山中でこのような過去の造物を見るたびに古人の様子や気配を伺い知ることが何より楽しい。 一概に昔の人々はすごい。

土手の風景の比較

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現代の赤間関街道の道筋を写真で残そうとしていて、8年前の土手辺りの写真が出てきたので今一度残しておくことにした。 2012年06月12日撮影-1 琴影橋から観た三隅町役場。  2012年06月12日撮影-2 琴影橋の前姿  2012年06月12日撮影-3 琴影橋を渡った所より土手の中筋を観る。三隅町役場が正面になる。  2012年06月12日撮影-4 明倫小学校旧正門より三隅町役場を観る。 たった8年前の風景が懐かしくなってきた。 昨年末に撮影した現在のこの辺りの写真と比べてみる。 2019年12月28日撮影-1 琴影橋欄干がガードレールに変わっている。  2019年12月28日撮影-2 役場は無いし、電器店も無くなっている。  2019年12月28日撮影-3 役場の跡地は更地のままでなんとも寂しい風景となった。 8年も経過すると町並みの容姿も変わってくるのが当たり前だが、寂しく変わっていくのは過疎地のさだめなのか? いや、まだ「過疎地」と言ってはならないぞ。