萩の唐樋町を発し、濁渕を西に進む「赤間関街道北道筋」には現在廃道と化したエリアが何ヶ所かある。
鎖板峠(現・鎖峠)の市町境界より廃道と化した七曲道を白拍子盆地へと下りると、日尾山より流れる日尾川に架かる「
鎖板橋」を渡る。
この鎖板橋は元々が土橋であったらしく、大正初年に石造のアーチ橋に改修されたと記されている。
三見橋(眼鏡橋)と同じ工法で造られた貴重な橋だが、今は写真のように廃道となってしまった。
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2020年02月02日撮影-1 |
何の写真やら判らないのでサイズを落として説明書きを付けて残す。
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上と同じ写真(説明付き) |
説明のテキストを貼り付けても判りづらいほど荒れた廃道だ。
アーチ橋がどこにあるかが気が付かないほど荒れていた。
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2020年02月02日撮影-2 |
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上と同じ写真(説明付き) |
鎖板橋の橋上、といっても判断ができない。
といった訳で思い切って日尾川に降りてみた。
(日尾川はこのすぐ下で追分川に合流する。追分川は三隅川の支流だ。)
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2020年02月02日撮影-3 |
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上と同じ写真(説明付き) |
何とかアーチ橋は判るがひどい荒れようだ。
ところで三見の眼鏡橋は・・・
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2019年09月26日撮影 |
このようにとっても立派に残されている。
[後記]
国土地理院の地形図を基に街道や旧道を散策するが、道が在った気配もないほど荒れた箇所に出くわすことがよくある。誤記入か?とも思える地点で迷いながら山道を散策するのも新たな発見が在ったりしてさらに興味が湧いてくる。
古人の気配を感じられたり遺物が発見(文献には既に在るが目の当たりにした時)できたりした時は何とも言えない悦びを感じてしまう。歳を重ねたせいか・・・?
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