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三隅の祠とお地蔵様~殿村新開

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 三隅川河口から沢江湾に面した殿村新開は2年前?から立ち入れなくなっているが、現状が把握できないことが僅かながら寂しい。 今回は比較的新しい祠だが土地を愛されるが故のものだ、と理解する。 2017年02月19日撮影 2017年02月19日撮影 「昭和五十二年八月 殿村新開所有耕作者建之(これをたてる)」と銘記されている。 ちょっと「粋」を感じる表記だ。 2017年07月12日撮影 そして殿村新開から臨む対岸の小島の風景は香月泰男画伯もお気に入りの切り取りだったはず。 昭和の時代に、この辺りを「一本松」と言っていたが何時しかその「一本松」は姿を消した。護岸工事の時か、自然に枯れ果てたものか記憶にないが、浅田川の河口に一本の松が立っていたことは記憶にある。その下でハゼ釣りをしたことが懐かしく、そして画伯の気配を感じられる「画」が残っていることが嬉しい。

仙崎漁港から眺望する三隅・秋芳の山々

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 このブログで何度も登場する 三隅と秋芳の境界を成す天井山系 の山々。 この権現山から始まる天井山系の稜線は花尾山から大ヶ峠へと連亘する。その美しい稜線の約半分が 仙崎 から見渡せる。 2020年12月10日撮影 2020年12月10日撮影 この稜線の向こう側(秋芳)に桂木山、手前(三隅)に岳の山がいかにも尾根が続いているように見えているが別の山系だ。 本当に美しいこの稜線は三隅・秋芳アルプスと言いたい。海上アルプスの青海島が背に居座っているので満更でもない。 2020年12月10日撮影 後ろを振り向くと大泊山が聳え立つ。この向こう側は青海島の大日比だ。 [後記] 今年になってから大規模な風力発電事業に伴う「風車建設」が新聞等の記事で目立つようになってきた。計画自体はもっと前から在るのだろうがこの天井山系の尾根にも最大で20基が建設されそうな計画が地元紙で目に付いた。近辺では阿武町の白須山から伸びる稜線にも建設計画があり、もっと驚いたのが福岡・佐賀に跨る脊振山山系にも大規模風力発電計画があがっていることだ。日本山岳遺産にもなっている自然公園を無視してでも建設したいこの無謀?な計画は何が目的なのだろうか。 最初の2枚の写真を見て、この稜線に風車があることを想像すると残念でならない。一度失った景観は絶対に戻らないし、何年か後にもし事業者がいなくなってしまうと残った設備や施設はどうなるのか、とか負の遺産のことばかり考えてしまう。 地元(山の麓?)ばかりで説明会をされているようだが、ほんの少し離れた仙崎が真正面になるのだが騒音や低周波の影響が余計にあるのでは?と素人ながらに考えてしまう。 そして懸念することがこれらの山中に暮らす野生動物たちが居場所を失って里に下りてくるのでは、とも考えてしまう。防獣柵や地元猟友会に駆除の依頼をするなどの具体策が説明会で出たと書かれた記事があったが、追い出しておいて行き場を制限したり駆除するというのはあまりに人間の身勝手ではなかろうか、と思う。 イージスアショアに限らず、土地を知らない者や地元に居ない者が地元住民を不安にさせることだけでも罪なことではあるまいか? (様々な意見があろうが、地元に暮らす民間人の拙なる思い!)

三隅の祠とお地蔵様~向山

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 向山に 宰の神 という地(小名)がある。 其処の山裾の大木に挟まるように小さなお堂がある。 2020年07月14日撮影 何故この辺りを「宰の神」と云うのか知らないのだが、「東宰の前」や「西宰の前」あるいは「宰の田屋」という小名も残っている。 向山という部落は現住所でいう「三隅中」と「三隅下」の両方が交わっており、郵便物に誤表記が多いように思う。 宰の神の「 宰 」とはいったい何を指して云うのであろうか? 単純に考えると何かを「司っている」という意味合いの漢字だが、この場所は「向山塾」の入り口でもある。何かの縁があったようにも感じられる。 今回上げた写真は雨上りの早朝の撮影だが、良い感じに撮れたと思いこの一枚にした。 [後記] 先ほど書き込んだことに関連することだが、三隅の「向山」はお店で配達を頼んだりするとコンピューター?の登録住所で「三隅下」でしか出てこない住所であることがよくある。店員さんから「三隅中向山」と入力すると住所が見つかりません、と言われたりする。「三隅下向山」ならあります、と言い返されるのだ。ところが郵便屋さんも解かっているようで、郵便番号や住所が間違っていても郵便物はほとんどがちゃんと届いている。 なんてことだ!

三隅川河口の風物詩

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 師走になって寒風が吹き晒すと、三隅川河口の海苔養殖の竹竿の風景を思い出す。しかしながら昨年も一昨年もその風景に出会えていない。 2007年の正月の様子 2007年01月05日撮影 2007年01月05日撮影 琴橋から小島湾にかけて三隅川汽水域にたくさんの竹竿が刺さるこの風景は「無くしたくない三隅の風景」として何度も撮影してきたが今となっては過去の風景となってしまったようだ。 水温が下がらないので海苔の胞子が上がってこないため、とも聞いたが担い手の減少や環境の変化も少なからず一因となっていると思われる。 一月早いが今年の風景は、と言うと・・・ 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 このように全く海苔養殖の気配は無い。もう少し待ってみよう。 後日変化があることを祈って! (当事者は本当に大変な仕事だが、傍観者は気楽なものです。) 今年の冬は寒くなるとお天気番組で情報を聴いたが、ただ寒いだけの冬にならなければ良いが。

江の川に架かる新旧の橋

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 江良山から真砂溜池を介し、その後長門市駅構内の南側に沿って白潟へと流れる江の川(えのかわ)に昭和29年と平成29年に竣工した橋がある。 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 上は3年前に架かったばかりの新しい橋だが眺めは壮観だ。 ここから下は白潟から仙崎へ抜ける旧道に架かる「白潟橋」。 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 「白潟橋」の読み仮名が「志らかたはし」と記銘してある。 2020年12月01日撮影 昭和29年(1954年)と平成29年(2017年)は63年ほどの隔たりがあるが、やはり古いほうがどっしりとして威厳を感じる。 昭和29年1月と竣工?年月が刻んであるところをみると、この年に三隅町に甚大な被害をもたらした「洞爺丸台風(S29年9月)」の被害は、橋が完成したばかりで耐えきったのかもしれない。 数々の風水害を耐えてきた建造物はそれなりの傷跡があるがゆえにたくましく感じる。

長門市駅の東部のこと

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 凡そ東西に広がる長門市駅の東側は一昔前とかなり違った風景となってきた。このブログで何度か取り上げたが、その風景の変貌は駅の変化ではなく周辺施設の変化に起因する。 2020年12月01日撮影 上の写真の上部切り取り 背景となっている草添山(517.4m)は長門市駅を見守るように聳える。この山に向って左に曲がると美祢線、右に曲がると山陰線と大きく分かれて出発する。東側から眺めるこの風景だけは変わらない。 南口から構内の東部を眺める。 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 老朽したコンテナだけでも撤去してあげれば、と思うがこの辺の不釣り合いを解消するだけでも風景は随分変わってくる。(敢えて言うと撤去した後に花壇を造ったり花を植えたりするのはこの場所には似合わない。) 2020年12月01日撮影 病院の増棟や新しいタイプの旅館(旅籠屋)などが並ぶと駅だけが取り残されているような感覚になる。 このことは0番線(今現在、鳥居擬きが立ち並ぶ辺り)の使用廃止に伴う不要設備の整理が追いついていないだけのように見えるが、完全に撤去出来ない理由が何かあるのかもしれない。 単純に現状設備だけをきれいにすれば人は寄ってくると思うのだが。

桂木山の山頂付近

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 東方を三隅川に沿って歩いていて、桂木山の山頂付近の色の変化に気付いた。 2020年12月01日撮影 2020年12月01日撮影 お天道様のいたずらや雑木の枯れた色ではなさそうで、伐採で一部が禿山になっているような色だ。場所を変えてみても同じ形に削れて見える。 禿山になってくれるのは良いが700m程度の低山なのですぐに雑草や雑木で登山道が潰れて仕舞わないか心配になってきた。プロ(林業者?)の仕業でしょうから安心はしているが少しびっくりした。 そういえば自分が子供の頃は周囲の山は禿山ばかりで、よく手入れがされていた。 これは一度現地に行って確認したくなった。ひょっとしてすばらしい展望が得られるかもしれない、と勝手な事ばかり考えてしまう。