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「こおり餅」のこと

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 「こおり餅」と言ってどこの地方まで通用するのかわからないが、一般に知られた水に浸して凍らせる「氷餅」とは違ったもので、寒の厳しい今頃に搗いた餅に塩を混ぜ、ひたすら干してかき餅状にした保存食のことだ。地方それぞれ違った作り方をしたり着色したりもしているようだがシンプルこの上ない「こおり餅」のある風景。 こおり餅 我が家では家の中でふすまや窓を開けて寒風が晒すようにして干すため、家じゅうが寒くなる。雨の日は湿気が入らないように雨戸を閉める。 この日の朝は下の写真のような天候で、雪こそないが寒い一日だった。 2021年02月03日撮影 上の写真の部分拡大 権現山に雲間から朝日が降り注いでいたが自前のカメラではうまく撮れなかった。 本当に神の山の風景だった。

連理の榊

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 俵山の金ノ口地区に「連理のサカキ(天然記念物)」という案内板が立っている。 2021年01月31日撮影 地理院地形図より 案内板には「大羽山北側斜面」と記されているが、地理院の地図には西山(477.3m)と書かれている。何かわけがありそうだ。近いうちに調べてみようと思う。 ところで連理のサカキに行くには「登山道」を歩かないと行けないようだ。最初の案内板から登山道と書いてほしかったがすでに遅し! 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 この写真のように祠は尾根に祀ってある。 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 地形図を手にして行けばよかったが、歩いた位置が正確に分からず大失敗だった。 [後記] 連理と聞いて思い出したのが「連理松」という名前だ。確か高津川の河口近くでこの名前を聞いたことがあると思い、ネットで調べてみると片株が病虫害で枯死し、1997年にすでに伐採されている様子。 ここの連理の榊は大丈夫か。

三隅を走る列車たち

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 自分は鉄道風景を特に好んではいるが、列車の系列や機種はほとんど知らない。専門用語?で言われてもピンとこない。 昨年の暮れだったか線路沿いを散策していて、私と同年代と思われるお父さん(お祖父さん?)がお孫さんを連れて「汽車ポッポが来るよ!」と発せられた言葉が記憶から離れない。やってきたのは一両(単機?)のディーゼル車だったが微笑ましくもあった。 本当に「汽車ポッポ」が来てほしかった。 現在は三隅を走る列車は観光列車を除くと下の写真のような2機種しか見ない。 2018年11月29日撮影 2019年02月08日撮影 2019年02月19日撮影 2019年04月01日撮影 写真はどれも三隅川橋梁辺りだが背景はすべて久原山だ。 昭和40年代の長門三隅 上の写真は正に「汽車ポッポ」だが長門三隅駅を益田方面に向けて出発するD51だ。「ポッポ」とは汽笛?のことであろうが実際は「ポッポ」と聞こえたことはない。 この写真の注目すべき点は自分にとっては今は姿を消した3番線に向かう分岐器が写っている点だ。機械式信号機も懐かしいがそれ以上に3番線の風景が思い浮かぶ。

俵山湯町と一位ヶ岳

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 長門市俵山の湯町から観る一位ヶ岳、逆に一位ヶ岳から観る湯町の風景を残す。 最初は湯町から一位ヶ岳を臨む。 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 そして一位ヶ岳山頂付近から湯町を臨む。 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 山間部でこのように密接した集落は湯の町ならではだと思う。 四方を山に囲まれ、大寧寺垰、福王寺垰、花瀬垰などの一里塚がある峠を越えて湯の町に行く古人の気配を感じられる素敵な町並みだ。 [後記] 俵山村(現・長門市俵山)は深川村から南西に入る赤間関街道北道筋に沿った山村で、三隅村、深川村、渋木村、真木村、青海村、通村と共に 前大津宰判 の管轄である。 (現・下関市の地吉村、殿敷村、殿居村も前大津宰判であった。)

砂利ヶ峠トンネルほぼ完成

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 2019年10月の終わり頃に貫通した県道美祢油谷線に新しくできた砂利ヶ峠トンネルの現状の風景。 2021年01月31日撮影 2021年01月31日撮影 全線開通は確か令和3年3月末と聞いたが、俵山側から観るとほぼ完成しているように見える。まだトンネルの名称が入っていないが完成が楽しみだ。青空の元、未使用のトンネルの風景はきれいだ。 一位ヶ岳から流れる嵩川は七重川と合流し、俵山温泉湯町辺りで木屋川へとたどり着く。椎の木の風景も随分と変わってきた。

三隅の祠とお地蔵様~三隅八幡宮古跡

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 三隅八幡宮の古跡とされる碑と祠が北生島にある。 「三隅の歴史と民俗」に掲載されている写真とは位置が違っているようにも思うがこの近辺にあったことは間違いないようだ。水路建設時にずらされたのかもしれない。 貞治年代(1362年~1367年)に失火により社殿を全焼し資料ごと消失したと記載された資料があるが残念でならない。しかし部落の中でこのような古跡が大切に受け継がれていることが素晴らしい。 [後記] 元号の「貞治」とは室町時代、それも南北朝時代のことで、手元の「新・もういちど読む山川日本史(改訂版)」の年表には記載がないので歴史的に荒だった出来事もなかった時代かもしれないが、三隅中村の歴史にとっては一大事だ。将軍足利尊氏の時代であろう。

子年のスタートに出会った大ネズミ

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 一年以上前の事になってしまったが2020年1月1日元日の朝に出会った奴がいる。 2020年01月01日撮影 毎朝自宅前に来るノスリを撮影しようとカメラを構えた足元の側溝にジッとしている大ネズミを発見。 ヌートリアは南アメリカ原産のげっ歯目(簡単に言うとネズミの仲間)で、ひょっとして特定外来生物で、見つけた場合は市に報告しなければならないのでは?と思いはしたが何せ元旦でお役所は休みだ。 年の初めから嫌な奴に出会ってしまった感があってアップしなかったのだが記録として残しておこうと思い始めた。その後姿を見なくなった。 昨年来?テレビで外来種の生物を駆除するような番組を見かけるようになったが駆除には賛成だがこの手の番組はあまり好きではない。何か違和感を感じてしまうので見ない。 今年のお正月には丑(牛)さんを見たかったが見れなかった。ところが一通の年賀状にて「迫力の牛!」を見せていただいた。これには驚いた。良い年になることを願いつつジッと眺めた。