投稿

飯井を眺める

イメージ
 国鉄が打ち出した「DISCOVER JAPAN」のキャッチコピーから50年以上が経って当時のことを思い出しながら飯井という地域を眺めてみる。 この飯井という地域は西畑山から繰り出される水無浴の水域に沿って萩市と長門市(当時は三隅町)に分断されている希少な集落だ。石州瓦の多い一見まとまった集落に見えるが飯井駅への上り口辺りにて東西で住所が全く変わってしまう。 冒頭で述べた「DISCOVER JAPAN」は1970年に国鉄が打ち出したキャンペーンで日本を再発見しよう、ということで噛み砕いて言うと電車や汽車に乗って田舎へ行ってみませんか?というようなことだが、とっても田舎であるわが町の若者たちはさらなる田舎や知らない町を求めて遠くは北海道や南九州まで足を延ばした。その後もキャンペーンは進化?して「いい日旅立ち」や「エキゾチックジャパン」、分割民営化されてからは「DISCOVER WEST」へと変わっていった。テレビや雑誌の中では賑わったが、わが町の鉄道の利用者はいっそうヒッソリとしていった。 灯台下暗しではないがわが町にこんな素敵な風景があるのだが当時の北海道の人々はわが町に来てくれたのだろうか?とつまらないことを思いながら撮影した写真なのだ。

権現山から三隅は明けて~令和五年

イメージ
 毎年同様の行動で元旦を過ごしているが今年も三隅の中心地からの、それも香月泰男画伯の生家のすぐ近くから初日の出を眺めた。 元日の三隅の日の出は確か7時20分頃だったと記憶しているが東の空に朝焼けも混ざってお日様の位置がわかりづらい。 寒さに手が悴んでウロウロしていると今年の一番列車が通過した。山陰本線三隅川橋梁を通過する画にしたくて土手を早足で移動。権現山からの日の出を期待したが時刻が合わず。列車の車窓から漏れる明かりってこんなに暗かったっけ?回送列車と思わせるくらい車内が暗い。 画伯が生まれた1911年(明治44年)には此処三隅にはまだ鉄道が無かった。画伯13歳の時(大正13年)に長門三隅駅が美禰線の終着駅として正明市駅から伸びてきた。その時にはすでに三見駅に向けてこの橋梁の新築工事が進んでいたと思われる。画伯が県立大津中学校の第一期生として自宅から通われていた時代で毎日のように鉄道の延伸工事を眺められていたはず。ひょっとして長門三隅駅から当時の蒸気機関車に乗って大津中学校まで通ったことがあったのかもしれない。 (普段は自転車通学だったと想像する?が、まさか…) 空が白んでくると思いきや権現山の稜線は焼けてきた。 三隅中学校の背後におわすは天井山だ。かなり明るくなってきたがまだお日様は見えない。 小波橋から眺めるとこんな感じ。寒さに負けていったん帰宅。 さあ、三隅八幡宮へ初詣に行きます。 参拝が済むとあったかい甘酒を振舞われました。おいしい。 そして元旦祭を拝ませていただく。 穏やかなよき元日。

三隅の祠とお地蔵様~落志畑

イメージ
 扇山の南麓かつ旧三隅町の東端に位置する落志畑集落は標高120m辺りに点在する。その集落のお地蔵さまと守り神たる荒神様のお社のご様子をやっと拝めることが出来た。 地蔵堂は小山の中腹に位置し、集落を見守っていらっしゃると思ったがさらに上にも民家がある。 ちょうどこの日は荒神様の年末のお掃除の日?で社の中まで拝見できた。 社殿左奥に荒神岩?が座っている。この岩には上がってはならぬそうだ。 鳥居には「文政三 辰 十月十一日」と刻まれている。西暦1820年、庚辰(かのえたつ)の年で200年以上前に建植された鳥居だ。

おいわけ市場~2022冬

イメージ
「おいわけ市場」に出会って一年以上が経った。ガソリンスタンドの跡地から国道を隔てた対面にて再スタートされていた。 2022年12月22日撮影 2022年12月25日撮影 2022年12月25日撮影 2022年12月25日撮影 センスの良い手作り感を醸し出していて風景にもしっかりと馴染んでいる。 こんな市場が彼方此方に出来ると町中市場となって楽しくなる。隣の萩市は街中博物館のような企画もあったりするが負けてはいられない。

クリスマス寒波

イメージ
 テレビの天気予報の番組で「クリスマス寒波」という言葉を耳にした。その昔ニューヨークからでもやってきた?のか、久しぶりに聞いたような言葉だった。 2022年12月23日撮影 2022年12月23日撮影 2022年12月23日撮影 2022年12月23日撮影 これらの写真を見てお気づきだろうか?今回の寒波では山々の樹々に全く着雪していない。つまり山が白くないのだ。 暴風で樹々に着いた雪が飛び散っているせいだと思うが、撮影時強烈な風が痛いように顔に当たっていたことを残そうと登校中の小学生に目を向けたが全くそのような気配が感じられない写真になってしまった。 2022年12月23日撮影 午後になり、さらに暴徒化した風は地表の雪まで浚っていった。白い雪の上に作られた雪だるまはむき出しの地面に作られたものとなってしまった。気温が少し上がったせいもあるが今回のクリスマス寒波は痛かった。 2022年クリスマスイブイブの記録。

すてきな美術館

イメージ
 手隙な時間に訪れることが出来る美術館があるということは本当に幸せなことで、さらに行くたびに新鮮さがある。そして香月泰男画伯の圧倒的なすごさと人間味を毎回感じる。 今回の訪問は12月中旬で素敵なお出迎えがいた。 帰りに玄関を振り向いてもう一度テーマを確認する。 私にとってもう一つの美術館はここなのだが縁も所縁もないため行くことが出来ない。

深川廃寺跡から深川を見下ろす

イメージ
 見下ろすといっても海抜約20m程度の板持の高台にある廃寺跡地とされる場所から見る深川地区や青海島の風景。 少々天候が悪かったが思ったほど見透しは悪くなかった。 2022年11月23日撮影 2022年11月23日撮影 長門市役所とその背後の城山をズームしたら結構くっきりと写った。寺跡から見る山城跡もわるくない。 2022年11月23日撮影 確か、昭和の時代には廃寺跡の場所が不明だったという資料を過去に読んだ記憶があるがそれが何の資料だったのか思い出せない。 漁ればきりがないので今回は風景を楽しむことに落ち着いた。 [後記] 深川廃寺が建立されたと推測されるのは七世紀後半(688年頃?)で大化の改新から40年~50年後のこと。現実味のなかった白鳳時代の歴史が少しだけ身近に思えてきた。地元の歴史をひも解いていくことの大切さを感じる。 長門市役所の背後に位置する城山(亀山)には亀山城跡があり、防長地下上申には鷲頭奥貞の居城とされるが防長風土注進案においては大内弘盛の居城と記されている。いずれも根拠は乏しいようだ。 深川湯本小河内の山林には深川城跡地もある。城主は鷲頭弘忠とされているがこれも定かではないのかもしれない。