豊原神社の庚申塚と五輪塔

以前に「庚申塚」のことを少し書き残したが、豊原神社の境内の片隅にもあったことにこれまで全く気が付かなかった。

2019年09月15日撮影-1

2019年09月15日撮影-2

2019年09月15日撮影-3

2019年09月15日撮影-4
多くの地方には六十日、六十年毎にくる最初の庚申の夜に寝てしまうと三尸(さんし)の虫が身体から抜け出して天帝に日ごろの悪態を報告して命まで奪われてしまう、という説から庚申の日は夜を徹して寄合協議をし、朝まで寝ないでいるという庚申講の風習があった。

しかしながら豊原ではこの「庚申講」の風習は無かったようで、この二つの庚申塚は牛馬の安全と農耕の安全を願って建植したものではないか?との考え方があるようだ。
(牛が田を耕き起すときの「すき」を引っ張る縄と、牛を操る小さな縄を庚申塚にかけていたらしい。)
参考・・・豊原のあゆみ(歴史と伝承)より

この大小2つの庚申塚と五輪塔は、元々、旧大歳社(現在の笠森様か?)に在ったものを移転したものである、と立て看板の説明に書かれている。


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