国道191号線で三隅から萩へと向かう途中にいくつかの隧道がある。
まずは榎谷トンネルの様子。
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2019年09月26日撮影-1 |
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2019年09月26日撮影-2 |
現在のトンネル横にかつての「榎谷洞道」が残っている。
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2019年09月26日撮影-3 |
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2019年09月26日撮影-4 |
このように無残な姿となっております。
以前は・・・
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榎谷洞道 「ふるさとみすみ」より抜粋 |
上の写真を見ると
古人の意地と職人肌が感じられる。
単純に「昔の人はすごい!」。
下の写真はさらに三隅寄りのトンネル「白拍子隧道」。
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2019年09月26日撮影-5 |
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2019年09月26日撮影-6 |
刻印された隧道名称が読めない。単純なゴシック体で表記してほしい。
しかし歴史を感じるので良しとしよう。
ところで現在と過去の地形図を比べると、結構おもしろい。
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現在の地形図 国土地理院地形図より |
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昭和6~7年?頃の地形図 |
「鎖坂」と思っていた峠が「
鎖板峠(くさりいただお)」と書かれていることが衝撃だった。旧赤間関街道のことを調べていて知ったのだがもう一度資料の見直しだ。
ちなみに或る書籍の年表には「1964年(昭和39年)
鎖坂トンネル開通」と書かれている。たぶんこちらが誤字(誤記入?)であろう。
ところで・・・
旧街道七曲道や鎖板橋(眼鏡橋)を昔を偲び探索してみようか?
すでに「廃道」となっていて誰も行き来する人はいない。
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鎖板橋 「ふるさとみすみ」より抜粋 |
大正初年に石造りのアーチ型に改修された「
鎖板橋」は、三見の名橋「三見橋(眼鏡橋)」と同じ工法で造られた日尾川に架かる橋で、最初は明治26年(1893年)に仮定県道23号の建設で土橋として架けられたようだ。
明治から大正、そして昭和へと移り変わってきた頃の人々の気配を探して
赤間関街道北道筋を三見橋(眼鏡橋)辺りから三隅へ、さらに正明市にかけて要所を歩いてみようと思っている。
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