仙崎の弁天島

以前、兎渡谷の権現社の鳥居に「厳島社」と銘記されていることを書き込んだが、その元となる厳島社が仙崎の弁天島に祀られた厳島社らしい。
[以前の書込み]
天保十四年(1843年)に淫覗解除の時に仙崎から「厳島社」を引地し、権現社は相殿となった。
(仙崎の厳島社は、現在の弁天島に奉られている厳島社と思われる。)


その「弁天島」を過去からの地形図で比べてみる。
2017年09月09日撮影

現在の地理院地形図
1994年?に完成した人工島により弁天島が陸続きとなった。


昭和56年10月30日発行 地理院地形図

上の地形図の仙崎拡大
昭和56年(1981年)には人工島がまだ仙崎湾に浮いているが、沖の堤防からつながっているようだ。


昭和17年10月05日発行の地形図
さらに前は完全に島となっている。

1992年(平成4年)10月に青海島観光基地(現在のセンザキッチンがある場所)がオープンして、その2年後(平成6年)に「第14回全国
豊かな海づくり大会」が人工島をメイン会場にして開催された。
この時に弁天島より稚魚や稚貝の放流行事がなされたようだ。

ちょっと前の事の様に思えたが四半世紀が経っていた。

コメント

このブログの人気の投稿

住友セメントのベルトコンベア

山口ニュージーランド村の記憶

山口福祉専門学校の桜