野波瀬の西波止場から

晴れたと思えば午後からは嵐のような風が吹き晒したり、最近はへんてこな天候が繰り返し起こる。

少し晴れた日の野波瀬の西の波止場からの風景。
2020年05月14日撮影-1
 東の堤防を眺めるとバックに「いこいの森」の野地山が見える。


2020年05月14日撮影-2
正面の市場の背景は久原山の北側の尾根になる。


2020年05月14日撮影-3
 北東側は幸島や松島の先端が見える。松島は「島」ではなく陸の地名だ。太古には島だったのかもしれない。

2020年05月14日撮影-4
三隅の字名に残る「生島(いかしま)」や「小島(こじま)」、さらに「松島(まつしま)」はすべて「島」だったのかもしれない。


2020年05月14日撮影-5
仙崎湾を隔てて正面は青海島の通地区になる。海路で見るとこんなに近いが陸路で行くととっても遠い。


2020年05月14日撮影-6
灯台越しに松島を眺める。



2020年05月14日撮影-7
 西側の地蔵崎方面を眺める。



2020年05月14日撮影-8
野地山をズームで撮影。


2020年05月14日撮影-9
漁協の建屋のバックに二条窪の背となる「岳ノ山」が頭を出す。

[後記]
何年か前に三隅で生まれ育った30代後半の方と幸島(こうじま)のお話をしていて、「幸島ってどこ?」の質問に衝撃を受けたことを思い出した。
40年近く三隅で暮らしていて「幸島」という地名に出会わなかった?ことが衝撃で、興味の対象や価値観の違いって人生を変えるほどの要素を持っていることにあらためて気づいた。
そういえば自分も学校で地元の地形や民俗について習った記憶もないし、ましてや先生方も他所の方が多くいらっしゃったわけで教科書通りの授業しか無かったように思う。これはそれらのことを否定しているのではなく、結局は自分の体験や出会いによって興味の対象は大きく左右されるということになるわけで、自分もまだ出会っていないことが多くあるのかもしれない。

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