長門プラザがあった場所
長門ショッピングプラザ(通称:長門プラザ)が出来たのは昭和50年3月だった。今から45年前のこと。
「昭和」が終わるころまで建物は在ったように記憶しているが、いつまで営業していたかは記憶から消えている。
その長門プラザが在った場所がこれらの写真の空き地だ。
今は大型ドラッグ店が建設されてかなり風景も変わってきたが、こんなに広い空き地に枯草があると見るからに寂れた街になってしまう。
ところでこの空き地の向こう側(南側)の背景もいつの間にか変わってきていた。長門市もしっかりと進化しているようだ。
[追記]
昭和50年3月というと思い出すのが山陽新幹線の岡山-博多間の開業だ。開業する前から騒音問題の報道が多く、祝賀ムードが今一だったように思う。しかし新幹線小郡駅(現、新山口駅)の開業はここ長門市の住民にとっても大きな変貌を与えた。東京、大阪、福岡等の大都市圏への移動が容易くなった。そして新幹線ひかり号に乗れることがすごいことだった。(まだ「のぞみ」はいない!)
特に当時の高校生は人生が変わるような出来事だったわけだ。
その世代が今定年を迎えているが一向に長門市に帰ってこない。
(ただし、今は新型コロナウイルスの蔓延防止のため帰ってきてはいけません。)
「昭和」が終わるころまで建物は在ったように記憶しているが、いつまで営業していたかは記憶から消えている。
その長門プラザが在った場所がこれらの写真の空き地だ。
2008年05月07日撮影 |
2012年02月06日撮影 |
ところでこの空き地の向こう側(南側)の背景もいつの間にか変わってきていた。長門市もしっかりと進化しているようだ。
[追記]
昭和50年3月というと思い出すのが山陽新幹線の岡山-博多間の開業だ。開業する前から騒音問題の報道が多く、祝賀ムードが今一だったように思う。しかし新幹線小郡駅(現、新山口駅)の開業はここ長門市の住民にとっても大きな変貌を与えた。東京、大阪、福岡等の大都市圏への移動が容易くなった。そして新幹線ひかり号に乗れることがすごいことだった。(まだ「のぞみ」はいない!)
特に当時の高校生は人生が変わるような出来事だったわけだ。
その世代が今定年を迎えているが一向に長門市に帰ってこない。
(ただし、今は新型コロナウイルスの蔓延防止のため帰ってきてはいけません。)
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