投稿

7月, 2021の投稿を表示しています

駅舎のこと

イメージ
 前回上げた萩駅舎のことを思い浮べ、そしてわが町の長門三隅駅のことを色々と思う。比較することもないのだが今の長門三隅駅舎の現状には残念さのみを感じる。 2017年06月19日撮影 このようになってしまった詳しい経緯と今の管理形態は正確に分からないのだがJR西日本が管理委託か譲渡?してしまった駅舎は常にシャッターが閉じたままとなっており、「駅」は右片隅に追いやられた格好になっている。こんな暗い駅舎は見たことがない、と言いたくなるほど残念だ。 駅としてはご近所の「玉江駅」の駅舎で比べてみると私の思いが伝わると思うが、開放感のあふれた素敵な駅舎として継続されている。 2019年05月13日撮影 2021年07月17日撮影 2021年07月17日撮影 一昔前まで駅舎内には売店(KIOSK)があって無人駅を感じさせない雰囲気を持っていたが今はその代わりに私設美術館の装いをされていて地元の方々の愛着を感じる。 駅は町の玄関口であってシンボルでもあるはず。そんな駅の入り口である駅舎が封印されたように普段は鍵がかかっていて、追いやられたスペースだけで乗客が乗降しなくてはならなくなっている。利用者は確かにわずかとなっているが歯止めがきかなくなっている一因がこの暗さだといっても良いのではないか。駅舎はもっとウエルカム状態をアピールするべきで何の印象も残らないこの現状は打破していかねばならない、と熱帯夜に思いを馳せている。

高潮注意報の時合い

イメージ
 長門市に高潮注意報が発令された日のお昼近くの小島漁港と下東方の風景。以前はピーク時を外れた時間に撮影したが今回は予測時間の時合いだ。 2021年07月26日撮影 2021年07月26日撮影 (旧・小島漁協の時計は止まったまま?) 2021年07月26日撮影 風景、などと悠長なことは言ってられない状況なのだが道路面と同じレベルに漁船が浮いている訳で、波でもあれば津波の状態だ。 地元の人は慣れている?のか淡々と通行されていたが初めて遭遇した場合はびっくりするはずだ。 2021年07月26日撮影 2021年07月26日撮影 三隅川の汽水域もかなり水面が上昇している。普段の状態を知らなければただの夏の風景に感じられる。 この地で生活を営む者にしか分からない異常な風景が写っている。

ディスカバー・ジャパン

イメージ
 先日所用で久しぶりに萩駅舎を訪れた。相変わらず綺麗で素敵な駅舎だ。その駅舎自体は「萩市自然と歴史の展示館」となってはいるが通称「萩駅舎」でまかり通っている登録有形文化財だ。 2021年07月17日撮影 鉄道の父「井上勝」の銅像を青空をバックに撮りたかったが叶わず。長州ファイブの一人だ。 2021年07月17日撮影 鉄と木で出来た長椅子が駅舎に実によく似合う。昭和の時代には本当にここに色褪せた同じ椅子が改札横にあったことを思い出す。そしてここには「DISCOVER JAPAN」のポスターが色褪せずに展示されている。 2021年07月17日撮影 サイケデリックなお化粧をされたお嬢さんと剣道少年の不釣り合いな場面。 2021年07月17日撮影 いかにも!な観光城下町の一角の風景。 2021年07月17日撮影 「レインボー山陰」ってキャンペーンがあったっけ?記憶にないのだが。 [後記] DISCOVER JAPAN(ディスカバー・ジャパン)は昭和45年(1970年)の大阪万博の終わった後にタイミングよく国鉄が打ち出したキャンペーンで、特定地域ではなく全国に向けた個人旅行を促すキャンペーンだ。テレビCMも記憶に残っていて永六輔さんの「遠くへ行きたい」という番組もこの頃にスタートしている。自分もちょうど一人で汽車に乗って隣り街に行きだした頃で鉄道の恩恵を受けだした頃のことだ。長門三隅にも結構な本数の列車が通っていた時代でSLに混じって特急列車や急行列車も走っていた。新幹線ひかり号なんか乗ったことも見たこともない「夢の超特急」の時代だ。

夕げの野波瀬浦

イメージ
 野波瀬浦と言っても埋め立て地からの風景で、どちらかと言うと室生に近い。 2021年07月21日撮影 2021年07月21日撮影 2021年07月21日撮影 夏の野波瀬浦は波静かで、夕げの刻になるとさらに穏やかさを増す。 2021年07月21日撮影 背景を成すのは青海島の山島山。手前は陸続きに見えるが幸島だ。右端が松島灯台。 2021年07月21日撮影 松島先端から煙が昇っているがキャンプ者が夕げの仕度をしているのであろうか、それともイリコを茹でる最中か?それにしても画になる。 普段はここに停泊する船は見ないが、微塵にも揺れないほど波静かで静止画を見ているようだった。 ここの埋め立て地が未だ海だった頃に、小さな竹桟橋が突き出ていた風景が忘れられない。ほんとうにきれいな海だった。 1975年の頃 自分の記憶は上の写真よりもっと前の昭和40年代のものだが当時の写真はさすがに残っていない。

デパートまるみ

イメージ
蒸し暑い夜にフッと思い出したこと。  2年前の2019年7月31日をもって60年の歴史にピリオドが打たれた「まるみストア」。いつの頃からか「サンフレールまるみ」と名前を変えられていたが自分の中ではやはり「デパートまるみ」だ。 閉店を告げる広告 まるみストア閉店2日前のウェーブ内の様子。 (ウェーブの閉店は2019年12月31日) 2019年07月29日撮影 2019年07月29日撮影 ところでまるみストアは古くは長門市駅前で当時としては大変ハイカラなお店であったがその後デパートまるみとして市役所通り城山踏切傍に長門市のランドマーク的デパートを建設された。 2012年07月19日撮影 2013年06月23日撮影 長門ショッピングプラザが在った場所。過去には長門病院の木造建屋があった辺りで、今はコスモスが建っている。 長門ショッピングプラザは昭和50年(1975年)3月にオープンしている。 その月に山陽新幹線が岡山駅から博多駅まで開通している。自分にとっては数々の思い出が積み重なった年で、長門市にとっても激動の年だったはず。 2013年06月29日撮影 写真に落書きをして見たが、確か当時はこんな感じだったと記憶している。 2019年07月29日撮影 ウェーブ屋上から建物のシンボル的な構造物を撮影。 ウェーブは平成3年(1991年)10月に完成オープンしている。28年の歴史に幕が下りた。 平成2年(1990年)9月にオープンしたアトラス長門は現在はフジ長門店だ。 まるみストアはやはりウェーブの中核で、今思うとサンリブとの二大巨頭だった。商工業のことはよくわからないが同時代を暮らした中で間違いなくそのように感じる。

クマゼミの羽化

イメージ
 昭和を半分生きた自分たちの年代には素人では考えられないショットがスマートフォンの進化のおかげで割と簡単に撮れるようになったことが少し恨めしく感じる。 今朝のテレビのローカル番組でも紹介されていた投稿によるセミの羽化や抜け殻の写真をみて、誰でもこんな写真が簡単に?撮れてしまうのだと感心するやら恨めしいやら複雑な気分だ。 子供の頃に初めてアブラゼミのサナギを見つけたときに昆虫博士のような気分になったことを思い出した。発見しただけでこんなに興奮したのに写真が撮れたらどんなに凄かったかを想像する。(たぶん当時のカメラではピンボケの暗いモノクロームで仕上がったであろうと思う・・・。) 偶々昨夕にミカンの木でクマゼミの羽化が始まっているのを発見して、それこそスマートフォンで時間を区切って撮影してみた。 発見してすぐにスマートフォンを持ち出して撮影。もう少し前から撮れていれば、とも思うがしかたがない。 これらの写真を見てわかるようにクマゼミの羽化したばかりの羽は本当に美しい。それこそ羽衣だ。 今朝、様子を見に行ったら近づいた瞬間にすぐ上の枝から逃げ去った。夜のうちに隠れるように枝へと移動していたようだ。というわけで最後は抜け殻の撮影となってしまった。 昨年に産卵されたばかりの卵を探したが発見できなかった。今年の晩夏にはもう一度探してみようと思っている。できることなら来年の初夏?に幼虫が土に潜っていく様子も撮影したいと思っているが出会えるかな? セミの一生は謎だらけだ。

地蔵崎の西から眺める

イメージ
 野波瀬漁港の北端にある地蔵崎は昭和の時代とは全く違った様子になっているが、そこから続く西の浜はほぼ昔のままだ。その地蔵崎の西から眺める風景は小学生の頃に釣竿を持って眺めた風景のままだ。 2021年07月13日撮影 通の東端より約500m離れた位置に「大島(無人島)」がある。この大島は写真で見てわかるように標高110mのピークが3ヶ所あって右側(南側)のピークは別の島のようにも見える。 2021年07月13日撮影 ちなみに萩市の沖にある大島は270世帯以上、人口600人以上が住まれている大きな離島だ。 その萩市側を眺めると遠くに高山?が微かに見える。笹島に重なるように見えるのは遠岳山か? 2021年07月13日撮影 2021年07月13日撮影 通の西山が正面に見えて、その西山が通漁港を隠している。青海島の一番東端にあるのに西山と言うのはなぜであろうか?通の出っ張りの西側の山であるからかもしれない。

久原山トレック・向山ヤマモモルート~椎の木は残った

イメージ
 3年前からこっそりと構想を温めてきた久原山トレッキングコースが「久原山トレック」として準備が進んでいる。 その中で今回は「 向山ヤマモモルート 」にビューポイントがほぼ完成した。低山ではあるが勾配のきついコース途中に休憩所を兼ねた絶景ポイントが完成した。 まずは伐採前の鬱蒼とした雑木林の様子。 2021年07月06日撮影 そして伐採作業が始まった。 2021年07月06日撮影 2021年07月06日撮影 北側の雑木を伐採すると見事なオーシャンビューが現れた。 2021年07月11日撮影 2021年07月11日撮影 椎の木(マテバシイ?)は将来の日除けに残していただいた。 2021年07月11日撮影 2021年07月11日撮影 野波瀬の釣りデッキと養殖筏が眼下に見える。 2021年07月11日撮影 遊び心でこんな長椅子やリュック掛けも作っていただいた。 2021年07月11日撮影 2021年07月11日撮影 ちょっと素敵なルートになりそうです。 [お礼] 地権者の方々や作業関係者の方々に厚くお礼を申し上げます。 皆様のおかげをもちましてトレッキングコースが完成しそうです。 本当にありがとうございました。 [後記] このトレッキングコースは山歩きを楽しむことを目的にしていますが、コース上には荒れた箇所や急坂なども何ヶ所かあります。登山の準備をされた上で入山されてください。地図読みが出来る方と歩かれることを望みます。

三隅の祠とお地蔵様~おうばん様とちちん様

イメージ
 個人宅に入り込んでまで調べるつもりはなかったが、ご近所の方とご縁が出来て許可を得て撮影するに至った。 まずは「おうばん様」のこと。豊原の片川にある個人宅内の「屋敷神」で、滝坂の「黄幡社」からきたものではないかと推測すると牛馬の安全を願って作られた小祠かもしれない。 2021年06月20日撮影 2021年06月20日撮影 「豊原のあゆみ」によると平家の落人が源氏に追われここで悲壮な最期をとげたのでその霊を祭ったものだと伝えられているとのこと。石仏がのぞき見えるのでこちらが正しい伝承と思われる。 そしてもう一つの「屋敷神」が「ちちん様」。 2021年06月20日撮影 2021年06月20日撮影 こちらも「豊原のあゆみ」によると山伏の霊を祀るもので毎日おはち様と灯明をあげるように云い伝えられているとのこと。ひょっとして「地鎮様」から来たお名前かもしれない。 [後記] 今回はご縁あってこれら御当家のご近所の方に案内までしていただいて撮影できたことを何よりも感謝している。 ひっそりとお世話をされている方々のご厚意を尊重しつつ後世に残したいという思いが重く残った。