昭和24年に社殿が新築され、現在の境内にある地神堂と広場は昭和61年に住民による奉仕作業も加わって改築されたものである。
元々は明治3年に普請されており、豊原村に神社が無かったため建設する運びとなったようだ。当時の豊原村は豊原・平野・二条窪・久原のことだ。
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2021年06月23日撮影 |
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2021年06月23日撮影 |
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2021年06月23日撮影 |
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2021年06月23日撮影 |
手前の3つの石も五輪塔の類か?
元々は笠森様に設置されていた庚申塚と五輪塔とのこと。
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2021年06月23日撮影 |
ところで下の写真の説明看板だが、一言物申す!
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2021年06月23日撮影 |
せっかく三隅町の時代に
三隅町教育委員会が仕上げた立派な説明板を市町合併時に「長門市」のシールを貼って体裁をとったため、きれいではなくなってしまっている。三隅町の時代に文化財保護活動の一環として設置された説明板にことごとくこんなシールが貼ってある。特に管理もされてはいない?ようなので余計なことはしてほしくなかった。元のままで何の影響もないように思うが「三隅町の時代に設置した」で良い。これも歴史の一つと思えるが。石板に掘られた文字もセメント詰めしてシールを貼るのであろうか?
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