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8月, 2021の投稿を表示しています

三隅八幡宮から天井山系を眺める

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 暑い夏が戻ってきた、と言いながら既に秋の気配が感じられる季節となってしまった。 久しぶりに三隅八幡宮に寄ってみた。 2021年08月29日撮影 手水場からのイチョウの隙間に天井山が拝める。ちょうど竜の背となるように造ったものか、と思わせる節があるが考えすぎか。 2021年08月29日撮影 2021年08月29日撮影 境内から眺める権現山から天井山への稜線がくっきりと縁どられる。大水峠はあそこだ、と何しろ分かりやすい。 2021年08月29日撮影 本殿前に藁束が置いてあったが田頭御神幸祭のものか。 2021年08月29日撮影 この日にちょっと驚いたのは「YKK」の看板が目につかなかったことで、トタン屋根の倉庫が消え去っていたことだ。しばらく眺めていた。 山の樹々がすべて深緑で境内のイチョウまで同化して見える。今後昼夜の気温差が激しくなってきて彩りを増してくるはずだ。コロナ渦の時代にも何一つ変わらないものがここに在る。

開作橋から

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 何時の頃からか通行できなかった開作の道の「通行止め柵」が無くなっていたので早速歩いてみたときの風景。 新しく出来た「開作橋」に驚いた。 2021年06月10日撮影 2021年08月23日撮影 「開作橋」は「かいさくはし」と読むようだ。橋の名前は川が濁らないように願って濁音にしないことが多いそうだ。 2021年08月23日撮影 2021年08月23日撮影 遠くには権現山が聳える。 2021年08月23日撮影 旧・開作橋は撤去されるのであろうか。欄干が無くなっている。 細かく言うと変わってしまった風景だが開作エリアはきれいになった様子が伺える。自然環境は今後の課題とし、素敵な場所であるがゆえにゆっくりと見守っていきたい。

三隅を囲むミニアルプス

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 五分の一(1/5)サイズの小さな北アルプスを思わせる天井山系は、そのバックに桂木山という霊山が居座っている。 まるで燕岳から大天井岳の稜線の向こう側に槍が聳える様だ。 (知ったかぶりです!) 2021年08月23日撮影 ちょっと大げさに書いたがそれほど素敵な大絶景が観られる。それぞれ低山ならではのキツさを持った素敵な山々で、冠雪でもすれば大絶景となる。 (最近は温暖化?のせいかほとんど冠雪が観られない。) 最初の写真は左から権現山(560.4m)、尖った先っぽだけ見える桂木山(701.6m)、天井山(602.2m)で、一番右は山系が違うが足河内山(398m)。 2021年08月23日撮影 上の写真は天井山と足河内山。入道雲がいかにも夏らしい。 2021年08月23日撮影 真正面が権現山の雄大な姿。 以上、雨上りの3ショット。 このブログで何度も登場する一押しの風景です。

今年のイネは!

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 昨年の9月初旬だったか、トビイロウンカによる坪枯れの大打撃を被った長門市の稲作だが山口県では今年は早くから対策が練られてきた?と田植えのシーズンにニュースで聞いたことを思い出した。 2021年08月16日撮影 2021年08月16日撮影 ここ最近悪天候が続いているがそれまで暑い夏日が続いていたので素人目に生育は良いように見える。今のところウンカは発見できなかったがイナゴがたくさん飛び交っているのが気になった。歩くごとに逃げ去っていく大量のイナゴたちにびっくりする。 2021年08月16日撮影 イナゴを撮っていたら突然の雨に見舞われた。 2021年08月16日撮影 雨が降り始めたときのアスファルトに染みていくときの独特の匂いがあまり好きではない。一目散に帰ろうとしたら突然と止んだ。その時に見えた久原山の稜線の一部がくっきりと見えた。 なんていいお山だろう!

大雨の日

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 大雨による被害が全国各地で発生している。こんな時にいつも思い出すのがわが町の12年前の大雨の日のこと。 2009年07月21日撮影 2009年07月21日撮影 2009年07月21日撮影 これらの写真を見て、三隅川の幅(流域)がもっと狭かったら、と思うとゾッとする。この時もたくさんの被害は出たものの大規模災害には至っていない。 そして先日の大雨の時の様子と比べてみる。 2021年08月14日撮影 2021年08月14日撮影 2021年08月14日撮影 2021年08月14日撮影 小波橋付近の様子を比べてみたが橋脚の浸かり具合からすると2009年の方がかなり水量が多い。 三隅町は昭和29年の洞爺丸台風のときに大水害(今で言う激甚災害?)を被っている。この時は未だ河川整備が出来ていない(堤防の無い)三隅川の大氾濫が記録されているが中地区から下地区に至ったかなり大規模な被害があったようだ。それより過去にも何度か大規模な水害が発生しているようだが河川整備及び治水事業が施工されて以降は大規模災害は発生していないように記憶している。

山陰本線1570D列車のこと

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 これは鉄道ブログではないので素人の単純な思いで書いてみる。 長門市発、木与行きの列車があることを最近になって知った。ちょっと離れた町のことは知らないことが多い。 2021年06月21日撮影 写真は長門三隅駅を出発した1570D列車。 2021年06月21日撮影 1570D列車を撮影して、東萩行きか益田行きのどちらかと思っていたらその後時刻表を見て木与行きであることがわかった。 2021年3月13日改正(上り) 2021年3月13日改正(下り) 疑問に思ったことがいくつかある。 何故木与駅で折り返すことになったのか? ここまで来てついでに益田まで行かない理由は何か? 逆に東萩駅ではなく木与駅まで行く理由は何か? 経営側からするといろいろの理由があるのだろうが、根源となるのは経費節減対策の一つかもしれない。 疑問その1は木与駅が上り列車が下り本線に到着できるルートを持っていたからというのが直接的な理由だろう。奈古高校のために昔からこのような折り返し列車が在ったのか?(奈古高校は2018年に廃校となっているし奈古駅は棒線化されている)それとも長門市内から萩市内の高校に通う通学の帰りの時間に合わせた列車なのか。 時刻表を見てもすき間だらけのダイヤで時間的な要素は考えにくい。益田~木与間のこの時間帯の利用客がいなくなったのであろうか、とも考えたが現状が見えないので迂闊なことは言えない。 いろいろと想像をめぐらすが一度乗ってみると何かが見えてくるのかもしれない。季節と時間が合えば夕焼け列車にならないか。 戯言とはこのようなことかもしれない。

野波瀬魚市場のこと

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 1990年に完成した「野波瀬漁協市場」はその10年後には「山口ながと漁協地方卸売市場」と名前を変えた。「野波瀬」が名前から消えたのはショックだった。 2003年01月21日撮影 完成当初は真中の通路の屋根部分は無かったと思うが完成後に継ぎ足されたものであろう。入り口の看板にはかろうじて「野波瀬」が残っている。 ここから下の写真は現在の様子だが看板が無くなるということの殺風景感は市場に限らない。 2021年08月10日撮影 2021年08月10日撮影 昔の防波堤がそのまま仕切りのように残されている。五間町の護岸が偲ばれる。 2021年08月10日撮影 いかにも後付けのような屋根だが、左の活魚のセリ場と右の冷凍庫とのやり取りがスムーズになった。「活きイカ参上!」の大型保冷トラックが出入りしていた頃を思い出した。 2021年08月10日撮影 2021年08月10日撮影 1993年(平成5年)12月に移転された恵比寿社の様子。 2021年08月10日撮影 元々は木造だった頃の漁協の建屋に寄り添うように鎮座されていたが今の漁協会館が完成した(昭和49年)頃には傍に在った記憶が無いのだがどこかに仮移転されていたのであろうか。関係者に聞いてみようと思っている。

野波瀬魚市場通路から

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 日差しがあまりに強くて風通しの良い日陰に避難する。野波瀬魚市場の通路はちょうど南北に向いて建っているので一日中風通しが良い。その魚市場の通路から見える南北の風景。 2021年08月06日撮影 北側の風景は真正面が青海島の山島山で直線距離は約5Kmだ。 2021年08月06日撮影 南に見えるは久原山の北側のピークで直線距離は約900m。ちょうど入道雲がかかっていていかにも夏の風景だ。 何年か前にこの市場の隅でバリを釣っていた麦わら帽子のおじさんの姿を思い出す。夏になると野波瀬港の湾内にバリ(アイゴ)の子が大量に入ってきて手のひらサイズになると結構な引きを見せるので釣っていて楽しい魚だ。ただ、ひれに毒針を持っていて刺されると結構痛いのだ。

火の見櫓のこと~後記

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 先月だったか豊原コミュニティセンター前の「火の見櫓」が撤去されたことを上げた。「サイレンがあったか、半鐘があったかまでは記憶にない」と書いたように思うが2008年に撮った写真にそれが残っていた。 2008年10月13日撮影 部分拡大 写真を見ると半鐘もサイレンも在った訳だが、ひょっとして半鐘だけでもコミュニティセンター(豊原公会堂)に保管されているのではないか、と推測する。機会があれば見たいものだ。 今の時代は緊急告知放送システムやその端末機器の発達で不要になってきている建造物ではあるが、風景としてはちょっと寂しいものになった。 その機能を発揮することが無いことを願ってはいるが、時代を問わず災害大国日本では防災グッズは準備するに越したことはない。 2008年10月13日撮影 ところで上の写真は同じ日の豊原神社の夕刻の様子だ。穏やかな秋の夕刻で、手記には「体育の日」と書き込んであったが、そういえば体育の日は2000年以降10月10日ではなくなっている。

深川川で思う

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 山陰本線長門市駅を出発して正明の街を抜けるとすぐに深川川を渡る。そして松林を抜けると只の浜から深川湾越しに青海島を見渡す、という定番の車窓風景を思い出しながら深川川沿いを歩いたのは7年前のこと。 2014年08月25日撮影 あの鉄橋の下でテナガエビを掬いつつ行き交う列車を眺めたことが湧き出るように思い出された。 2014年09月07日撮影 初めて特急まつかぜ号に一人で乗って舞い上がってしまったこともあったっけ。車内の検札にドキドキしてしばらくは風景どころではなかったわけだ。 下郷から上ノ原の辺りを歩くとどうしても山陰本線と絡まった記憶しか思い出されず、勝手な記憶が昭和の時代を見栄えよくしてしまう。ひょっとしたら今の方が風景はきれいなのではないか、とフッと思うこともある。 深川川:ふかわがわ 正明:しょうみょう

飯井の海~夏

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 西畑山より流れる水無浴を境に萩市と長門市に分かれる飯井には目を見張るほど美しく素敵な入り江がある。一年前の様子だが「飯井の海」だけに注目して撮影。 2020年08月24日撮影 真中の谷の一番奥に聳える鉄塔のある山が西畑山(386.6m)だ。 2020年08月24日撮影 湾の西側の風景。とにかく波静かで美しい。 2020年08月24日撮影 山陰本線を走る列車もおもちゃの様に見えてしまう。 2020年08月24日撮影 東側の岩場に釣り人がいたが昔の自分と重なって思いを馳せる。 2020年08月24日撮影 日本海に面しているとは思えないほど穏やかで透明感のある美しい海だ。 まつかぜ号が走っている頃に撮影したかった。

最後の一羽が巣立つ

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 今年2回目の巣づくりをしたツバメの子が先日巣立った。 「最後の一羽」と書いたのは全部で5羽のひな鳥が育っていて、24日の明け方に4羽が巣立ち、朝7時過ぎに最後の1羽が巣立って巣は空っぽになった。 その最後の1羽が巣立つ寸前の写真が撮れた。 2021年07月24日撮影 巣に残った最後の1羽の巣立ちを促すように親ツバメが寄り添う?場面だと勝手に思うわけだが、親ツバメは腹部が少し汚れているのか子ツバメと比べると純白ではない。エサを運ぶのにヘトヘトになった状態だと思う。 下の写真は7月20日で5羽が揃っている頃のものだ。 2021年07月20日撮影 この写真を見るとたくさんのエサをもらう要領のよい子ツバメが分かってしまう。後ろに隠れた子ツバメがたぶん最後に巣立った個体だと思う。 ところでツバメは子供たちの識別が出来ているのであろうか?、鳥事ながら心配だ。