野波瀬魚市場のこと

 1990年に完成した「野波瀬漁協市場」はその10年後には「山口ながと漁協地方卸売市場」と名前を変えた。「野波瀬」が名前から消えたのはショックだった。

2003年01月21日撮影
完成当初は真中の通路の屋根部分は無かったと思うが完成後に継ぎ足されたものであろう。入り口の看板にはかろうじて「野波瀬」が残っている。

ここから下の写真は現在の様子だが看板が無くなるということの殺風景感は市場に限らない。
2021年08月10日撮影

2021年08月10日撮影
昔の防波堤がそのまま仕切りのように残されている。五間町の護岸が偲ばれる。

2021年08月10日撮影
いかにも後付けのような屋根だが、左の活魚のセリ場と右の冷凍庫とのやり取りがスムーズになった。「活きイカ参上!」の大型保冷トラックが出入りしていた頃を思い出した。

2021年08月10日撮影

2021年08月10日撮影


1993年(平成5年)12月に移転された恵比寿社の様子。
2021年08月10日撮影
元々は木造だった頃の漁協の建屋に寄り添うように鎮座されていたが今の漁協会館が完成した(昭和49年)頃には傍に在った記憶が無いのだがどこかに仮移転されていたのであろうか。関係者に聞いてみようと思っている。


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