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10月, 2021の投稿を表示しています

天井山系のホザキザクラ

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 本州では山口県が生息の北限となっている「ホザキザクラ」というサクラソウ科の貴重な植物がある。以前は三隅町にも生息していたとの記録もあるようだが現在は不明。昭和34年5月に秋吉台の山麓で地元高校生(生物部員)によってはじめて発見され、その翌年5月に同部員のNさんによって秋芳町八代の中辺や半田地区でも生育していることがわかったとの事。 2012年08月16日撮影 上の大滝から大谷山にかけての天井山系の稜線は9年前に秋芳町側から撮影したもの。山麓より水田につながるような地形の斜面に生育していたもので、地元の方に案内していただいてやっと撮影できた(めぐり会えた)。 ホザキザクラ-1 ホザキザクラ-2 実は全く山野草に興味の無かった自分でも「ホザキザクラ」という名前だけは憶えていた。サクラソウの仲間であるとか貴重種であることは知らずにいたが八代盆地のどこかに生育していることはパンフレットや観光案内の看板で以前よりずっと見ていた。どんな姿なのかも知らない個体にやっと会えたような感覚だったことを思い出した。 旧三隅町内でもまだどこかで生息しているかもしれないので来春には天井山系の麓や林道で捜索をしてみようと思っている。

久原山山頂の整備

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 久原山は標高204mの低い山である。しかしながら頂上を目指して登るのはきつい山だ。(楽に登れる山なんて無いのだが。) 「 久原山トレック 」の案内看板設置と久原山頂上の整備作業までやっとたどり着いた。 まずは建植直後の案内看板。 2021年10月24日設置 トレセン駐車場のモミの樹の前。 2021年10月24日設置 向山ヤマモモルートの駐車場 2021年10月24日撮影 トレセン駐車場から草刈り機やチェーンソーを担いで久原山登山口へ向かう。登山途中ですでにヘトヘトの状態だった。 2021年10月24日撮影 下地の草刈りと雑木の伐採をひたすら行う。機材を持って上がるだけで相当疲れているのだがすごい人達だ。 2021年10月24日撮影 2021年10月24日撮影 最後の仕上げの草刈り作業。祠の周りを丁寧に刈っていく。 2021年10月24日撮影 2021年10月24日撮影 2021年10月24日撮影 2021年10月24日撮影 作業が終わって時間は違うが黄昏れる。 2021年10月24日撮影 完了後の頂上の様子。 2021年10月24日撮影 作業途中に 瑞風 が平野辺りを通過する様子が遠目に見えた。 次は向山ヤマモモルートの登山口駐車場から支尾根取り付きまでのスロープ道の整備だ。今は赤土でぬかるんでいるのでちょっと歩きづらい。ここの砂利びきが出来たら今年の整備は完了する。

豊原の火の見櫓

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 今年の 6月27日 と 8月8日 に二回に分けて豊原コミュニティセンター前に在った「 火の見櫓 」のことを投稿した。 その時はいつ建設されたものか不明だったが、基礎部に埋め込まれたプレートを撮影した写真が古いPCで見つかったのでここでアップしておくことにした。撮ったのは7年も前だった。 2014年10月20日撮影 再建が「 昭和三十一年六月 」と刻まれている。と言うことは65年間ここに建っていたことになる。途中で修理等もあったろうがよくぞ持ちこたえたものだ。 2014年10月20日撮影 2014年10月20日撮影 今となってはこの風景も見ることは出来なくなったが、写真だけでも残せて良かったように思う。 デジタル技術の発達で「火の見櫓」も不要となってきたが見慣れた風景が変わっていくのも寂しく感じてしまう。 豊原の歴史の一頁としての役割を今年終えた。

豊原神社を過ごす瑞風

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 何日か前に同じロケーションで朱色の列車が豊原神社を過ごす風景を載せたが、今回は豊原神社の横を 瑞風 が通過するシーンを撮っていたので残しておく。 2018年10月08日撮影 2018年10月08日撮影 山陰本線長門三隅駅を出発してすぐの瑞風。 豊原神社の境内が清掃されて間もない時期だったせいか、 庚申塚 がちゃんと写っていた。旧・三隅町のエリアにはお地蔵様はいたるところに鎮座されているが、庚申塚(庚申塔)はほとんど見ないので貴重なものだ。ここ豊原には庚申講の慣わしは残っていないようなので豊原神社の庚申塚は牛馬の安全と農耕の安全を祈願するために置かれたものであろう。 社殿や鳥居とのコラボレーションが出来ない位置関係だけに庚申塚が写っていたのは貴重に思う。

瑞風が走り出した頃

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 2017年6月19日、 トワイライトエクスプレス瑞風 が営業で走り始めてすぐの頃で、長門三隅駅でワクワクしてそれを待った日のこと。 2017年06月19日撮影 2017年06月19日撮影 2017年06月19日撮影 2017年06月19日撮影 この日、長門三隅駅に着いてとっても嬉しかったことがあった。 駅のホームや線路が見違えるように きれい にしてあって、今までと雰囲気が違っていたことだ。気分よく瑞風を迎えられたような気がしたのは私だけではなかったはず。 唯一気がかりだったことは 駅舎「はつらつステーション三隅」 のことで、ずっと以前からシャッターが下りたままで唯一開くのは選挙の投票日だけ。これは負のイメージしか無くて、駅舎はもっとオープンであるべきでこんな駅は見たことがない!と思うほどクローズなイメージだ。 他力本願だが誰かここ(長門三隅駅舎)で名物となりそうな「 駅弁 」でも販売していただけないかと切に願う次第だ。駅前のロータリーは広いし買いに来やすい。あと3年後の11月3日には 長門三隅駅は開業して100年 を迎える。 [後記] 大正13年11月3日に長門三隅駅は正明市駅より延伸された美禰線の終着駅として開業した。さらに萩方面へと延びて行ったが鉄道の駅が豊原に出来たことによって当時の三隅村は大きく変わっていった。その内容等に関しては以前に何度か投稿しているので参照願いたい。

久原山山頂からの眺望

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 昨日に続き、今回は久原山の山頂から見える風景の説明書き。 2019年04月28日撮影 南側は三隅を囲む天井山系の山々が連なる。 (桂木山及び足河内山は別の稜線に位置します。) 直下には明倫小学校や三隅中学校が見えます。 2019年04月28日撮影 西側を臨むと三隅川河口や仙崎湾、さらには深川湾まで眺望できます。 2019年04月28日撮影 北西には仙崎の先端部がチラリと見えます。 2019年04月28日撮影 このような景色を楽しむには、人間だけの勝手ではあるが頂上の居心地が良いことが望まれます。がんばって登って素敵な景色を見る場所が荒れていてはがっかりします。 人の手を加えすぎない程度に登山道やビューポイントを整備するのは本当に難しいと思うが樹木や野生動物にとっても生活しやすくなるのではないかと思う。山と人が共生していくためには人の手をある程度は加えていく必要があるように感じる。

久原山の山頂のこと

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 最近様々な用件で久原山を歩くことが増えた。その用件の一つに修景伐採をする場所決めがあった訳だが久原山山頂を候補地の一つに挙げた。 2021年09月12日撮影 2021年09月12日撮影 写真を見てのとおりだが、現在は頂上広場の草と周辺の雑木の繁茂で展望どころか休憩も出来ない状態だ。何時ぞや訪れたときには「祠」も倒れていて(たぶんイノシシかシカが体をこすりつけて倒したものと推測する。)抱え起こして何とか体裁をとった次第だ。 2017年の頃の頂上の様子。時期的に明倫小学校の卒業記念登山があったのであろうか、育友会か地元自治会の方々の奉仕作業によってきれいになっていたのかもしれない。 2017年03月25日撮影 2017年03月25日撮影 今はシンボルとなっていたこの立て看板も朽ち果ててしまった。今後、どのように整備していくかが課題となってくる。 ところで久原山の頂上の位置だが、・・・ 地理院地図より 地理院の地形図に示された頂上には地籍調査用の三角点はあるが俗にいう地理院管理の「三角点」はない。そして先ほどの写真の「頂上とされている場所」はもう少し南側のピークになる。ここには祠が鎮座(ご神体は久原の大歳社に在るとの事)されている。さらに地形図でみるとこのピークは 明倫小学校 の真北になるのだが興味深いことにその東西には明倫小学校の出立となった 豊原小学校 と 市小学校 がほぼ直線状に並ぶ。元々明倫小学校の校舎は現在のグラウンド(運動場)にあった訳で、豊原小学校跡、明倫小学校そして市小学校跡は東西の一直線上に並ぶ。こじつけとはなったが何らかの思惑が働いたと考えても面白い。

豊原の山城跡

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 豊原の山城跡は標高91mの新宮山の頂に位置するため別名、新宮山城とも記録されている。 鎌倉時代の山城 で城主などの記録は残っていないようだ。 城域は南北に約170m、東西に約120m程度あるらしい。 2021年08月29日撮影 2021年09月16日撮影 その新宮山城のピーク(標高91m地点)に初めて行ってみた。 (過去に散策に入ったことはあるが準備不足で迷ってしまって途中断念していた。) 2021年10月10日撮影 2021年10月10日撮影 2021年10月10日撮影 2021年10月10日撮影 植林が広範囲にされていて城域がはっきりとしなかったが、ピークを囲むように曲輪が配置されている様子は残っていた。 はっきりとした道が無かったのでちょっと気を抜くとすぐに迷ってしまう山だ。

関門海底鉄道トンネルの時刻表のこと

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 表紙の好みで時折購入している「九州時刻表」というとっても使い勝手の良い季刊の時刻表がある。(交通新聞社九州支社発行) 何が良いかと言うと・・・ 紙質が良い。 東海道・山陽・九州新幹線がすべて掲載されている。 山陰本線の長門市以西、山陽本線の徳山以西が載っている。 広告ページがまるで昭和のまま。 サイズが手に馴染む。etc. 一番良いのは500円でおつりがくる値段!なのだが。 ところでこの時刻表を見る度に思い出す地域に特化した「時刻表」がかつてあった。手元に残っていないし記憶も定かではない時刻表で、 関門トンネルだけの専用時刻表 があったことだ。それも山口県では下関駅辺りのKIOSKや本屋さんにしか置いていなかったように思う。値段もとっても安かった(100円程度?)ように思う。 上の簡略した線路図で説明すると、JRが 国鉄だった頃 のことになるが関門トンネル(鉄道用)を行き来する列車は、本州からは山陽本線や山陰本線から門司・小倉方面、又は門司港行きがあり、九州からは鹿児島本線や日豊本線から、又は日田彦山線からも下関へと向かってくる。それら関門海底鉄道トンネルを行き来する列車だけが統一された「下関~門司間だけ」の便利な時刻表があった訳だ。(記憶は50年も前の事だがひょっとして今でも有るのかな?)発行者は鉄道弘済会だったように思うがこれも定かではない。一言で言うと「 本州と九州を行き来するための時刻表 」なのだ。 現在はJR九州、そしてJR西日本と会社が分割されてしまったが当時はすべて国鉄(日本国有鉄道)であった訳だが当時から鉄道管理局は違っていた。下関側は広島鉄道管理局で門司側は門司鉄道管理局だ。

今年もモズがやって来た

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 毎年やって来て囀る「モズの柱」に今年もモズがやって来た。「 モズの柱 」とは私が勝手に命名した木柱で、人とほど良い距離に建っているので様々な野鳥が留まっては囀る貴重な場所だ。 2021年10月07日午前撮影 2021年10月07日午前撮影 上の2枚はメスで、モフっとした羽毛がきれいだ。午前と書いたがお昼前の時間だ。 2021年10月07日午後撮影 2021年10月07日午後撮影 2021年10月07日午後撮影 上の3枚はオスで、留まっている間中しきりに囀っていた。 たぶんメスを呼んでいたに違いない。こちらも午後と言っても夕刻に近い時間だ。 冬になるとノスリもやって来ては止まっている柱で、たぶん周囲にエサとなる小動物がたくさんいて絶好の見晴らし台となっていると思われる。ひょっとしたら夜にはフクロウも留まっているかもしれない。

運動会の日

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 明倫小学校の運動会を何年かぶりに見た、と言っても通りすがりに開催されていることを知って眺めた程度だがちょっと驚いたことがあった。 2021年10月03日撮影 2021年10月03日撮影 まずコロナ禍の影響?であろう、10月になっての運動会の開催に少しながら驚いた。その昔は運動会と言えば10月だった記憶があるが、近年は夏休みが終わってすぐの9月の初旬に開催されていただけに「えっ!今日なの?」。 そしてもう一つが赤白帽(白赤帽?)で鉢巻が見れないこと。色々なことを考えてしまった。 後で知ったが2年ぶりの運動会だったとのこと。数々のご苦労があったことだと思う。 2021年10月03日撮影 明倫小学校のグラウンドの背景は左から権現山、天井山にかけての稜線です。私が通っていた時代はこのグラウンドの位置に校舎があったため、このような風景は無かったのですが、とっても素敵な風景です。

三隅の祠とお地蔵様~畠中

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 約三か月ぶりのお地蔵様の登場だが、やはりお地蔵様が居る風景は和む。 2021年10月04日撮影 2021年10月04日撮影 台座には「寛政四年 壬子(みずのえ・ね)」と刻まれている。 西暦1792年で約230年前から鎮座されている様子。 2021年10月04日撮影 兎渡谷集落と麓集落の間に位置する畠中は権現山の北側のピークから染み出る畠中川が流れる。この地区の素敵なところは圃場整備以前より整備されてきた田園地帯で、広大な見通しを拝めるところだ。風景としては一級品だと思っている。そんな風景に馴染むようにお地蔵様がいらっしゃる。 お地蔵様や地蔵堂がきれいに手入れがされていると安堵の気持ちが生まれ、そして拝みたくなる。「私は○○から来ました。また会える日を楽しみにしていますよ・・・」と言うような気持ちだ。そして別れを告げて先を行く。 2021年10月04日撮影 秋晴れの畠中。