2022年1月30日日曜日

二条窪川を浚う

 三隅川の支流で岳ノ山、鉄割山及び足河内山を水源とする二条窪川が川浚えされている。

2022年01月29日撮影

2022年01月29日撮影
工事名「二条窪川浚渫工事」
浚渫(しゅんせつ)という難しい漢字が使われている。

2022年01月29日撮影
何年も昔のことだが二条窪川の下流域は、春になると溜まった土砂に菜の花が咲き乱れてそれなりに画になる風景だったが川にはやはり水が流れていたほうが良い。

2022年01月29日撮影
本流の三隅川も今、川浚えが施工されているが今年度の予算はここまでか?。東関渕の瓦礫や土砂も浚ってほしかったが今後に期待しよう。

二条窪川にもサケが遡上するようになることを期待してしまう。防災のことよりも身勝手な事ばかり考えてしまう。そんな折に「三隅川洪水ハザードマップ」が配布された。

ハザードマップ
これまでにも行政から配布されたものは「津波ハザードマップ」や「土砂災害ハザードマップ」などがある。今改めて見直している。


2022年1月25日火曜日

百舌鳥が来る

 年明けから毎日のようにモズがやって来る。最近ノスリの姿を見かけなくなったと思ったら入れ代わりのようにモズが姿を現した。





昨年の秋にやって来た個体と同じものかどうか判断がつかないがモフモフしていて丸っこい。物思いに耽っているようにも見えるがエサを探しているのであろう。

写真を見てもわかるように樹木の中に居てもすぐに判るほど見つけやすい。

2022年1月23日日曜日

こーり餅を乾す

 凍り餅ならぬ「こおり餅」のことだがあえて「こーり餅」と言う。

地方それぞれ大寒の時の水で餅を搗き、凍り餅や凍み餅のような風習があることは知っているがここ三隅でも似たようなことをする。何度も言うが「こーり餅」だ。(萩の山間部でも同じだと聞いた。)

2022年01月17日

2022年01月17日

2022年01月17日
今年の大寒は1月20日であったが道具の都合上餅つきが前倒しとなった。

2022年01月19日
そして切った餅をひたすら乾す。
餅と言いながら「かき餅」となる。そしてこれを弱火で焼いて食べる。これを「こーり餅」という。

2022年01月20日撮影
大寒の日の滝坂の様子だが薄っすらと雪景色となっていた。それこそ二十四節気の最後を飾ったような天候となった。

今年は「こーり餅」を山で焼いてお汁粉に入れて食べようとひそかに思っている。

2022年01月23日試食にて


2022年1月21日金曜日

向山ヤマモモルート

 久原山トレックの向山ヤマモモルートはその名のとおりヤマモモの木が登山ルートの周辺にたくさんあるわけだが、このプチ登山の途中には休憩所からの日本海ビューポイントやおすすめの場所がある。



景色の良さは言うまでもないが天候が良ければ須佐の高山(こうやま)まで見渡せる。

こちらは「高砂」と言うめでたい名前の山が顔を覗ける。少し見づらいが左には「日尾山」も確認できる。(分岐点北側のピーク)

最初に出会えるオロチ?のヤマモモの木。この後も尾根ルート上に大小たくさんのヤマモモの木が待ち構える。久原山頂上の手前ではヤマモモの大木も待っている。

このほかにもおすすめの場所が何ヶ所かあるのだが少々マニアックなので書き込みはやめた。

「プチ登山」とはいえ低山の魅力いっぱいのとっても楽しいトレッキングコースで四季折々の山歩きが楽しめる。

さあ登山靴(トレッキングシューズ)を履いていきましょう。

[後記]おすすめの装備
登山靴・タオル・手ぬぐい・手袋・水分補給用ペットボトル・トレッキングポール(杖)・リュックサック(ザック)・カメラ・コンパス・地理院地形図。

久原山まで駐車場からゆっくり歩いて片道1時間半程度です。早い方は45分で久原山に着きますのでトレーニングにも利用できます。一番大切なことは午後3時までに駐車場に帰ってくることです。
これを目安におにぎりをもっていくのも楽しいと思います。
地理院地形図より抜粋
赤い線が登山道です。駐車場から久原山頂上まで約1.5Kmです。


2022年1月19日水曜日

三隅町特産品直売所のこと

 三隅町の特産品と聞くと私は「美須美いちご」をすぐに思い浮かべるのだが今はその包装ラベルを見かけることも無くなった。

2010年03月22日撮影
「ハム・ベーコン・ソーセージ製造直売所」と描かれている。
直売所のすぐ左後ろに見える「萩・三隅道路」のスロープで場所が分かると思うが今は面影もなく建屋ごと消え去った。
いつ頃まで営業されていたのか覚えていないし今思うと一度も訪れたことが無いので何を書いたら良いのかもわからない。(下の写真を撮影した2007年には人の気配は無かった。)ただ、この当時に三隅で養豚業を営まれている方から直接いただいた豚肉は本当に絶品で美味しかったことを覚えている。これが豚肉か、と驚嘆した。

2007年09月20日撮影
隣りに在った「るぱん茶屋」も揃って懐かしく思える。ここは以前は確か「焼肉大将」ってお店だったような?。

広報資料写真
三隅町広報の資料写真にあった特産物だがこれらの商品も直売所に置いてあったのだろうか。これを見ると「ハウスメロン」や「ハウスイチゴ」を思い出す。昭和の時代に千銀の蒲鉾を東京のお世話になった方に持参してびっくりされたことも思い出した。三隅から風呂敷包みを抱えて小郡駅に行き、新幹線に乗って都内までのお届けだ。なんとも懐かしい。


2022年1月17日月曜日

久原の朝

 朝と言っても午前9時前の撮影だが、冬の朝日の差し込む久原(くばら)の風景。

2022年01月15日撮影
川浚えの後?となってしまった三隅川に映し出される久原山は標低204mと表現してよいかどうか。静かな川面はその稜線を見事に描きだしている。堤防に並ぶ重機も風景に同化した。

2022年01月15日撮影
扇山ならぬ「権現山から三隅は明けて」と編曲したくなるような時節のショット。9年間通った道にあるこの踏切は非電化区間であるが故の美しさを保っている。と言いながら昔は鉄道専用の通信線が電柱に添架されて線路に並行して走っていた。「ハエ叩き電柱」という言い方もされたが今は撤去されて通信線は橋梁に沿って収まっている。

2022年01月15日撮影

2022年01月15日撮影
久原橋、そして山陰本線三隅川橋梁も川面に映える。

これまでに何度ここに撮影に来たことか数えきれない。この場所の四季折々の風景は画伯も愛したに違いない。久原橋上に佇む画伯の姿を思い出してはいそいそと通っている。


2022年1月15日土曜日

榎谷洞道のこと

 このブログで榎谷洞道が登場するのは二回目で、2年前?だったか書き込んだことがある。

以前に訪れたときは大籔で入口も何も確認できない状態だったように思うが今回は整備されていて入り口はきれいになっていた。

2021年12月31日撮影

2021年12月31日撮影

2021年12月31日撮影

2021年12月31日撮影

下の写真の説明板のとおり、明治26年(1893年)8月に仮定県道二三号(萩・宗頭間)が全線開通となった。

2021年12月31日撮影
その後昭和40年に現在の2車線ある榎谷隧道が完成して洞道は廃道となったと記録されている。約70年間は使用されていたわけだ。

建設当時は国の補助金が無かったらしく、地元住民の陳情を受けて県が何度も調査をした結果、七曲道を大きく迂回する今のルートにこぎつけ、県議会に諮ったとある。(三隅町広報より)

[記事]
これらの写真は三隅側の入り口で、萩側の出口は国道から確認できなかった。いつかは当時を偲んで洞道内を歩いてみたいと思うが願いが叶うであろうか。

2022年1月11日火曜日

年神様を見送る

 令和四年の三隅八幡宮のどんど焼きは1月10日に行われた。


炎や煙となって正月にやってこられた年神様を見送った。
注連飾りや門松は年神様がやってくるための目印だそうな。我が家にもやって来たのであろうか。
話は変わるが昭和の時代、自家用車にもしめ飾りをつけて走っている車が結構いた。注連飾りに小みかんまでつけた車もいた。最近は見なくなったが年神様は自家用車にもやってきていただけるのか。(五穀豊穣、無病息災、家内安全・・・)

初詣の時に今年は賽銭箱の横に「参拝の作法」が置かれていた。とってもわかりやすくて良いと思った。巫女さんが手本を示した絵となっているのがさらに良い。

歳を重ねても知らないことや今更聞けないことが多いわけで、このような分かりやすい指示は大歓迎だ。そしてなぜこうなのかは考えないことにしている。チコちゃんに叱られてもよい。


2022年1月10日月曜日

中小野の街道

 赤間関街道の名残を残す風景が中小野に残っている。

中小野は街道に沿った約1.6Kmの集落地で、その中央部で上中小野と下中小野の二つの部落に分かれている。上中小野は給領地、下中小野は蔵入地となっていた。そして下中小野のほぼ中央に萩より四里にあたる一里塚跡があったとされている。(一里塚の一つ前は追分、一つ先は浅田にあった)

2020年03月23日撮影

2020年03月23日撮影

2020年03月23日撮影
こんな素敵な街道を歩くと明峰寺に着く。
2020年03月23日撮影

2020年03月23日撮影

2020年03月23日撮影
明峰寺から街道は国道を逸れて三隅川沿いの旧道に進むのだが、ここで寄り道として正面の門前橋を渡ると湯免温泉に向かう。
2020年03月23日撮影
この門前橋の路面はなぜ「青い」のだろうか?不思議だ。

この橋(当時は木橋か)を渡ってわざわざ湯免温泉に行くわけだが、昭和の温泉開発がされる前の事で当時はどんな風景であったのか興味がわく。

慶応年代から明治にかけて維新の志士たちや地元の民はどんな格好で三隅の地を歩いていたか本当に見てみたいものだ。


2022年1月8日土曜日

野波瀬疫神社の今

 昨年末に疫神様(やくじんさま)を訪れた。

2021年12月31日撮影

2021年12月31日撮影
野波瀬バス停から見た疫神社の森だが、元々は続いていた山が県道の建設で分断された。今は正面の森だけが疫神社の森となっている。

2020年01月02日撮影
年末か年始には毎年訪れているように思うがいつも綺麗に管理されている。
昭和30年代を思い起こすと、この境内ではいつも子供たちが遊んでいた風景があった。すぐ近くに保育園(野波瀬保育園)があったせいもあるが、必ず何人かの子供たちが居た。
みかん相撲が奉納されていた土俵の跡が薄っすらと残っている。

2020年01月02日撮影
1616年頃の創建で400年以上の歴史を持っている。
野波瀬の峠を越して病魔が入ってこないように祈願された(痘瘡守護)ものらしい。ところが今となっては県道が社の背後となっているために疫神様は見逃してしまうかもしれない。


2022年1月6日木曜日

黄幡社と三ノ瀬の風景

 大晦日の慌しい時に滝坂から三ノ瀬に下って黄幡社に寄ってみた。

2021年12月31日撮影

2021年12月31日撮影

2021年12月31日撮影
ここに来るとついでに「御所(ごせ)」の探索をしたくなるのだがさすがにこの日は思いとどまった。

2021年12月31日撮影

一ノ瀬、三ノ瀬、四ノ瀬とあるようにこの辺りの三隅川は大岩が多い。
三ノ瀬橋正面の扇山から大里川、そして桂木山系や大谷山(三角点名:御所)から流れ出る三隅川の水流はこの後杉山川の水流と交って本流を成す。

2021年12月31日撮影
以前より気になっていた「格納箱」は何が収まるのか。
普通に考えると新聞、回覧板、郵便物となるが色々と想像をしてしまう。山中奥深い地域で偶に見られる「システム」だ。


2021年12月31日撮影
この辺りの風景は里山感満載できれいだ。寒く無ければずっと眺めていたかったが吹き晒す冷たい空気はさすがにそれを許さなかった。雪こそ無かったが外気温は1℃から2℃程度で体感温度は氷点下だった。


「帰ル堤」のこと

 長門市東深川の旧街道(赤間関街道)沿いに「帰ル堤(かえるづつみ)」という溜め池がある。 現在の長門総合病院前の道筋を西に進み、緑ヶ丘にて国道191号線に沿うように街道を進むと直ぐに左手にため池が現れる。このため池はいつの頃からか「帰ル堤」と呼ばれ、そこに大きなエノキがあったらし...