中山から小浜を歩く

国道191号線・北浦街道を自転車で走ってみた。

正確に言うと、この区間だけ自転車をついて歩いてみた。
というのが高校生の時代に毎日のように自転車で通った道で、昔の風景を思い出しながら写真を撮ってみた。
自分が高校生の頃は「北浦街道」という言い方は無かったように思うがこの辺りの国道191号線はもっと狭い道ですれ違う車や後追いの車に気を遣いながら通学していた。


2018年05月11日撮影-1
FUJIというショッピングセンターは当然無かったが、いつの間にやら看板のロゴが変わっていた。 この辺りはすべて田んぼだったと思う。
この先の左手に「小野田レミコン」のコンビナート?があり(今の中原組の場所) 、バッティングセンターのネットがあったことが印象深い。
「ルネッサながと」等は無く、すべて山だけの風景だった。




2018年05月11日撮影-2
この先右側に長門市の焼却場?が在ったように記憶しているが自転車で通行するときにとても臭っていた。
峠越えというイメージが湧いてきた場所だ。




2018年05月11日撮影-3
線路(山陰本線)の位置は変わっていないはずなので道路の幅員が今の半分より狭かったように思う。ということはかなり山側(右側)を崩して拡幅したということになる。
通学していた頃は最後のD51が通っていた時代だ。




2018年05月11日撮影-4
振り替えって長門市街方面を撮影。
この辺りが一番臭っていた。
三隅側からここまで来ると正明市に入った、って感じがしていた。




2018年05月11日撮影-5
住友セメントのベルトコンベアが見えてくると下り坂に変わる。
手前に見える陸橋の白潟へ行く道路はまだ無かった。




2018年05月11日撮影-6
このようなフェンスも無く、狭い道が続いていた。

今はこんなに広くなり通行しやすいのだが自転車で通学する生徒が少なくなっている。

聞くところによるとほとんどの生徒が自家用車で家族に連れて行ってもらっている様子。
これも時代の流れか?

【爺さんの独り言】
せめて晴れた日は自転車を漕いで行こう。辺りはこんなにきれいな風景なのだ。
この辺りだけではなく町全体が当時(昭和40年代~50年の頃)より今の方が風景はきれいになっているように思う。
海や川の水質が良くなり、道は広くきれいになった。
後はそのように思える住民を増やせば良いだけだ。


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