長門三隅駅を想う

先日、列車のいない時間に長門三隅駅のホームに上がってみた。
(本当は無断で入ってはいけないのであろうが無人駅であることでつい足が進んでしまった。かつては切符を買ったものだけが入ることを許された場所だ。)
「上がってみた」という表現はちょっとした小さな階段があるからなのだが、この階段を上がってホームに出るという旅立ちのステージ感が好きで、そこにはやがてやってくる列車への期待感でいっぱいの少年がかつては居たわけだ。

2020年08月27日撮影

2020年08月27日撮影
 跨線橋から眺める起点方。
草木の無節制な繁茂で駅がどんどん浸食されている。せめて駅構内は何とかしたい、という思いに駆られる。

2020年08月27日撮影

2020年08月27日撮影

跨線橋から眺める終点方。
2020年08月27日撮影
過去に3番線(上下機待線?)があった頃の駅南側(上の写真左側)は、今は山の延長のように竹や雑草が覆いかぶさってその気配が消え去っている。
線路はさすがにきれい?なのだが、ホーム上や用地内周辺の雑草や雑木の鬱蒼とした侵入にやる瀬の無い気分になってしまう。
駅の風景は絶対に昭和の時代が良かったように思う。

夏が終わろうとする頃の風景を残そうと思ったが、まだまだ終わりそうにない今年の夏。

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