久原橋で画伯を偲ぶ
台風10号の接近で家周りの点検と非常用セットを用意して、そして雨が降り始めた夕刻前に傘をさして久原橋を散策。未だ風は無風状態。
川底に見えるのは架け替えられる前の橋体(欄干?)ではないだろうか。昭和31年からずーと沈んでいるのか、それとも昭和29年の洞爺丸台風による三隅町の大水害の時に破壊されたものか?
画伯も同じようにこれを見られたであろうか。
大正13年の暮れにはこの鉄橋が架かったと思われる。美禰線正明市驛から延びてきたこの鉄路は三見に向って着々と敷設されていた。当時画伯は13歳。
現在の久原橋は久原集落側に「昭和三十一年三月 竣工」と銘記してある。香月泰男画伯、44歳の時である。
「橋から500メートルの範囲があれば、一生描いても描きつくせないほどの画題がある」、と言わしめた「私(画伯)の地球」のコアだ。
2020年09月06日撮影 |
香月泰男画伯の生家がある久原集落
2020年09月06日撮影 |
真正面の背景が久原山。
2020年09月06日撮影 |
2020年09月06日撮影 |
2020年09月06日撮影 |
画伯も同じようにこれを見られたであろうか。
2020年09月06日撮影 |
2019年11月03日撮影 |
現在の久原橋は久原集落側に「昭和三十一年三月 竣工」と銘記してある。香月泰男画伯、44歳の時である。
「橋から500メートルの範囲があれば、一生描いても描きつくせないほどの画題がある」、と言わしめた「私(画伯)の地球」のコアだ。
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