国鉄の名残

長門三隅駅が旧国鉄の時代に「米子鉄道管理局」の管理下にあった頃の朽ちた看板が駅間に残っていた。

2020年05月23日撮影
山陰線の飯井、長門三隅間の4種踏切だが、人が通った形跡が伺えないほど線路の両側の道?が荒れていた。

昨年の様子(逆方向)を撮っていたので比べてみる。
2019年04月21日撮影-1

2019年04月21日撮影-2
今はコロナのせいで瑞風もやってこない。

[後記]
1987年(昭和62年)だったか旧国鉄(日本国有鉄道)が分割民営化され同時に清算事業団が発足した。その時に「米子鉄道管理局」が「JR西日本米子支社」となり、管轄エリアの最西端駅が国鉄時代のまま長門三隅駅であった。その後時代は昭和から平成となって米子支社の管轄であった(益田駅)~長門三隅駅間を広島支社へと管轄移動がされ、今はJR西日本広島支社長門鉄道部の管理下に収まっている。
地元住民の殆どが列車を利用しないためか全く周知されずに管轄移動されている。又は忘れ去られている。

つい先日JR九州の日田彦山線のBRT化が決定された。その新聞記事を読んでいて一番衝撃だったことが2017年7月に発生した九州北部豪雨で被災した区間が未だに不通のままで復旧できていないことだった。東日本大震災等にも言えることで、現地に行かないと見えないことがたくさんあり、ネット又は紙面などのメディアで報道された部分しかわからないことの恐ろしさがわかってくる。

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