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1月, 2021の投稿を表示しています

子年のスタートに出会った大ネズミ

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 一年以上前の事になってしまったが2020年1月1日元日の朝に出会った奴がいる。 2020年01月01日撮影 毎朝自宅前に来るノスリを撮影しようとカメラを構えた足元の側溝にジッとしている大ネズミを発見。 ヌートリアは南アメリカ原産のげっ歯目(簡単に言うとネズミの仲間)で、ひょっとして特定外来生物で、見つけた場合は市に報告しなければならないのでは?と思いはしたが何せ元旦でお役所は休みだ。 年の初めから嫌な奴に出会ってしまった感があってアップしなかったのだが記録として残しておこうと思い始めた。その後姿を見なくなった。 昨年来?テレビで外来種の生物を駆除するような番組を見かけるようになったが駆除には賛成だがこの手の番組はあまり好きではない。何か違和感を感じてしまうので見ない。 今年のお正月には丑(牛)さんを見たかったが見れなかった。ところが一通の年賀状にて「迫力の牛!」を見せていただいた。これには驚いた。良い年になることを願いつつジッと眺めた。

アイスクリームの冷凍庫

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 「アイスクリームの冷凍庫」と云っても近所のお店の店頭にある冷凍庫のことだが、この冷凍庫はたいていお店の入り口傍の外に設置してある。 2017年01月18日撮影 冬場は何となく店外に置いてある理由は分かるが、夏場はそうはいかないので分厚い保温シート?が架けてあることが多い。 子どもの目線の高さで中のアイスが見れるようにしてあるのだろう、と勝手に思う。 2008年05月06日撮影 2014年12月27日撮影 2014年12月29日撮影 2016年03月31日撮影 お店の風景としては店頭に自販機と共に並んでいたほうが「いかにも」な画になる。 こんなお店のある風景がかなり減ってきたが一番寂しく思うのがお店をやめられたことではなく、お店自体が無くなってきている風景に接した時だ。 生活様式の変化に伴い必要不可欠だったものがそうではない時代になってきているということだろう。

三隅の祠とお地蔵様~湯免住吉社

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 湯免温泉は弘法大師が唐よりの帰途(806年)に現・長門市の能満寺に滞在中、夢にて湯免に温泉が湧出することを示教された。 昭和33年(1958年)に三隅町で開発に乗り出し、町営湯免温泉として温泉場を作り、高野山より弘法大師像を招来した。 2018年03月02日撮影 2018年03月02日撮影 2018年03月02日撮影 昭和33年三隅町広報より 三隅町が開発を始めたこの時に三隅町民謡「扇山から」と「湯免小唄」が完成している。さすがに当時の様子は分からないが、わが町に温泉場が出来て民謡がレコード化されたという素敵な歴史が残った。 [後記] 長門市の 能満寺 とは俵山郷にあるお寺です。一度訪れてみたいと思っているお寺です。

旧長門市内のお店のマッチ

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 若かりし頃、飲食店のマッチ箱が好きで貰って来ては菓子缶の中に放り込んでいた時期があった。収集するつもりではなかったので菓子缶の中にどんどんたまっていき、あふれるものから使ったり捨てたりしたように思う。 お正月にその缶を整理しようと思い、出しては見たが手に取ったら「捨てる」という勇気は消え去った。 その中で旧・長門市内のお店のマッチだけを抜き出してみるとほんの5個しかなかった。 もっとたくさんあったはずだが記憶違いか?・・・ せめて残っていたマッチだけでも画像で残しておくとしよう。 この中で「キッチンハウス」のマッチだけが市内局番がが 22局 となっていた。残りはすべて 2局 だ。 思い出すお店はもっとあるがマッチ箱が消え去っている。まあ良いか! 東京や福岡のマッチがダントツに多いが、気が向いたら画像にして残していこうと思う。そうすれば整理できるかもしれない。 マッチ箱も昭和の時代にはそのお店の顔であり、デザイン性を重視していた。ほんとうに素敵なマッチもあり、できれば残していきたいと思うのは間違いではないように思える。

花尾山登山口のカブ

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 市ノ尾集落から花尾山に向かうと登山コースの分岐点に「カブ」さんがいる。 2021年01月03日 今月のカブ 2020年01月01日 去年のカブ 2018年10月21日 2018年その3 2018年07月15日 2018年その2 2018年05月15日 2018年その1 もっと以前や2019年の写真を捜索したが見つからないのでこの程度にしておく。 「登山道を整備する」と言うことは結構大変なことで地元の方々の努力は見逃せない。 花尾山は低山(669m)でありながら名峰で、山歩きにしても頂上を目指す登山にしても四季折々素敵な場所がたくさんある。何度来ても飽きないほど自然豊かな山だ。ここのほかにも何ヶ所か登山コースがあるが自然を満喫するなら本谷コースがお勧め。 初めての方は鈩(たたら)コースが良いかもしれません。ただしどのコースもしごかれます。

宗頭大歳社から観る樅の木

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 宗頭の大歳社壇上から樅の木集落が見渡せる。 2020年01月26日 樅の木集落の南西に権現山の大きな尾根が聳え、南には358mピークへと向かう谷がある。そのピークの向こう側は大平峠で秋芳町の栢木集落へと続く。 (大平峠へ向かう道ではありません。) 樅の木の集落のある地形は谷の出口でありながらちょっと高台となっている。三隅川が宗頭に向けて大きく蛇行しているせいで、氾濫を見据えて集落が出来たものかもしれない。およそ標高50mに位置する集落だ。 写真からは三隅川の形状が見渡せないがしばらく眺めていたほど面白い地形だ。

萩市街を囲む低山

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 低山と言っても歴史的にも地形的にもとっても味わい深い山々なのだが、萩市街を囲む山の風景。 指月山から田床山 指月山から笠山 田床山から指月山 田床山から笠山 笠山から指月山 指月山・・・145m 笠山・・・・112m 田床山・・・372m 三山とも独特の雰囲気を持った山だ。 それぞれの山のことは昨年に上げてはいるが、後日詳しく残していこうと思っている。

ジョウビタキ

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 唱歌「たきび」で”落ち葉焚き”という歌詞が出てくるが焚火の「火たき」ではなく鶲(ひたき)科の小鳥のこと。 先日大根の葉に着いた虫を食べに来ているのではないか、と書いたときは犯人を撮影できなかったが、ついに撮影できた。 2021年01月6日撮影 「ヒッ、ヒッ」と鳴いてジッとしていたところ。 2021年01月14日撮影 「カタカタッ」と鳴いて目が合った瞬間に逃げて行った。 この2枚の写真はハンディカメラ(IXY)で撮影したものだがポケットから取り出してすぐの撮影だ。 今の時季のジョウビタキは、まん丸でフカフカしたオレンジ色の毛におおわれている。 鶲科の小鳥はジョウビタキ以外にルリビタキ、ノビタキ、イソヒヨドリなどがいるがみんなフルートのような美しい鳴き声をしている。 ジョウビタキだけはちょっと違う鳴き声のように思う。そこが可愛いのだが!

おもちゃ屋さん

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 平成の時代にもあったが「おもちゃ屋」と聞くとどうしても昭和の時代を思い出す。 今の令和の時代、子供たちは欲しいおもちゃをどのようにして手に入れるのだろうか?それとも欲しいおもちゃなんて無いのだろうか? ここ長門市においてはスーパーマーケットやドラッグストアの片隅に言い訳程度に置かれたおもちゃコーナーしか思いつかないが、例えば「野球盤」や「黒ひげ危機一髪」などが欲しいと思うと何処に買いに行くのだろうか?と考えてしまう。 ひょっとしてこんなものが欲しいのは大人だけかもしれないが。 2012年08月23日撮影 2010年03月10日撮影 上の写真は両方とも一昨年末に閉店した「ウェーブ」の中にあったおもちゃ屋さんと駄菓子屋さんだがウェーブが閉店する頃には既に無くなっていた。 ネットショッピングが発達した現代は簡単に欲しいものが手に入るが、足を運んで手に入れたものは想い出が付いてくる。ただ、ネットでしか手に入らない物があるため否定はしない。 こんな書き込みをしたのは、実は最近のおもちゃの「風格の無さ」というか「ちゃちな造り」や「重量感の無さ」から安っぽい感じがしてならないという思いからで、おもちゃに限らず製造者の思いが伝わってこないものが増えてきたと以前(昭和の時代)より感じていたからだ。 特に国外生産のものはそう感じることが多く、安いものにも職人気質を感じられる製品が今は無くなってきている。頑固職人が居なくなった、と言うより居ては生きていけない時代になってきたのかもしれない。

官有無番地という住所

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 今のJR各社が日本国有鉄道であった頃、広島県の三次駅のすぐ傍に「 官有無番地 」という住所があることを知った。 (この「三次市」という街は形態や雰囲気が「長門市」によく似ていて、唯一違っていることは三次には海が無いことだ。三次駅も長門市駅のように分岐駅で構内の構成もそっくりだった。) なぜこの「官有無番地」という言葉が浮かんできたかと言うと、長門市駅の南側に国鉄時代に「長門機関区(現・運転支所)」があり、その周辺にあった 国鉄官舎 の様子を伺える風景を見たからなのだ。今は地番が付いていると思うがその昔、この辺りはひょっとして「官有無番地」ではなかったか?と勝手な考えが過った。 2020年12月01日撮影 記憶が間違っていなかったら、いかにも過去に国鉄官舎があった様子が伺える風景だ。 2020年12月01日撮影 この保線区の入り口辺りは国鉄時代のままだ。 この「官有無番地」という住所表記は例えば自衛隊の駐屯地や旧国鉄の駅の敷地、又は「網走番外地」?のような地番の無い地番外のことであろうと思うが長門市駅敷地内にも過去にはあったのかもしれない。 国鉄官舎に母方の伯父が住んでいたおかげでこの辺りの記憶が割と残っている。転車台や扇形庫があっただけに蒸気機関車が吐き出すばい煙がこびりついた木造宿舎(官舎)の黒い風景が思い出される。 自分にとっては様々な記憶が湧いてくる特別な場所かもしれない。

雪が降る

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 雪国ではなくても寒波が来れば雪が降る。そして寒い。 2021年01月08日撮影 2021年01月08日撮影 2021年01月08日撮影 1月7日の夕方から雪が降り出した今回の寒波は、10日の夜に水道管の破裂による長門市内の広範囲に断水を発生させた。こんなことになろうとは思わず、呑気に雪景色を撮影していた。 ところで雪が降るといつも思い出すのが アダモの「雪が降る」 と ダークダックスの「雪の降る街を」 なのだが、思考回路がどうしても昭和を抜け出せない。暗い雪雲に覆われると暗い?曲を連想する。青空の雪景色だとそうでもないがそんな風景はあまりお目にかかれない。 両曲ともに色々な方が歌われているがまずは「アダモの雪が降る」を思い出すのだ。「 ゆきはふる  あなたはこない」と歌い出しが聴こえていたと思うが、タイトルとは違って「ゆきはふる」なのだ。 そして「ダークダックスの雪の降る街を」は「町」なのか「街」なのかわからず、「思い出だけが通り過ぎて行く」という歌詞から自分にとっては「町」であってほしいとどうでもよいことが頭を過る。 見慣れた景色がどんどん白くなっていくのはこの歳になると不安ばかりが膨らんでくる。若かりし頃は無敵であったことが今は違ってきた。臆病になってきたことが少し悲しい。

厳しい寒波の後

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 北陸や東北地方は想像を超えた寒波となっているが、ここ北浦の寒波もそれなりに寒い。 一昨日、その寒い中で震えながら撮影したが、横殴りの雪に見舞われて風景撮影どころではなかった。 今日になってやっと雪が止んだので雪景色を撮影にと飛び出したが、すでに解けていて遅すぎるスタートだった。 途中小さな雪だるまを何体か見たが、それも融けかかっていて恰好が良くない。ちょっと驚いたのが向開作で「かまくら」を発見したこと。 この三隅の下地区ではかまくらはなかなか見れないし造れない。製作者の親子?がいらっしゃったので撮影は控えたが、小さいながら立派なかまくらだった。 雪洞(ぼんぼり、又はせつどう)と書いて「かまくら」と読むことがある。真偽は別としてちょっと粋だ。

2021年の初山歩き~後編

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 前回に続き花尾山頂上から 荒ヶ峠(あらがたお) を目指して尾根を進む。 予想は美祢別府ルートの分岐点までは歩きやすい尾根で、そこから先は雑木ヤブの連続であると覚悟していった。 2021年01月03日 鈩コースの分岐点。 2021年01月03日 尾根途中の484.4m三角点 2021年01月03日 荒ヶ峠のお地蔵様。 2021年01月03日 林道に下りてから見つけたベルトコンベアの点検孔?。 2021年01月03日 荒ヶ峠橋。下の川は深川川だ 2021年01月03日 2021年01月03日 市の尾バス停。 市の尾バス停は現在は「乗り合いタクシー」のみが利用可能でバスの運行はされていない。 2021年の初山歩きとしてはとっても充実したものだったが、寒風吹きっさらしの尾根歩きはただ寒いだけで厳しいものだった。それにも増して峠のお地蔵様に会えたのは素敵な出会いだった。 [後記] 花尾山から荒ヶ峠へ向かうには、しっかりとした地図読みが出来ないと迷います。道標もテープもありませんので気軽に行ってはいけません。

2021年の初山歩き~前編

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 普段と全く変わりなく過ごしてしまった年末年始。唯一変わったのは食卓が少しだけ賑やかになったことか。 身体も鈍ってきたし山に行きたくなってきた。そして2日の午後に嘉万から見てしまった 花尾山の白い頂上 。早速明日の天気をチェックし地理院地形図とにらめっこだ。どのルートを歩いてみようかと、頭の中は既に山歩きが始まっている。 2021年01月03日 計画通り右の本谷コースへ あれ?!、雪がまったく無い。 2021年01月03日 中腹から少しづつ残った雪が現れてきた。 2021年01月03日 谷の様子も・・・。 2021年01月03日 色々な足跡に出会う。 2021年01月03日 尾根に到着。 2021年01月03日 雪道は「キュッキュッ!」という足音が何とも言えず気持ち良い。 霜柱が立っている雑木林も「ザクッ、ザクッ」という足音が森に響く。 風さえなければ 至福のとき 。 2021年01月03日 上の写真の中央部拡大 何度も聞こえてくるシカの警戒の鳴き声。近づく前に逃げてしまう。 そして頂上へ。 2021年01月03日 頂上はとにかく寒い。寒風吹き曝しで三角点に挨拶してすぐに退散! 昨日下界から眺めたほど雪は残っていなかったが、手が悴んだ他はすべてよし!だ。そして計画通り 荒ヶ峠 を目指して尾根を進む。 後編へ続く。