昭和の長門三隅駅のこと

昨年、長門三隅駅の想いでのことを少し書いたが、思い入れが深い場所なのでもう一度書いてみる。

過去の写真を探してみたが駅舎の写真が見当たらないので、以前アップした下手なイラストや、2つ隣の三見駅を参考にして書いてみる。

長門三隅駅の正面のイメージ

駅構内の平面イメージ図

昭和48年頃の構内東部
このボケた写真でわかるように、3番線に分岐したポイントがある。
今の跨線橋(線路の上をまたがった橋の通路)はまだない頃で、線路を横断する通路で2,3番線に渡っていた。鉄板をめくって現れる線路に降りる階段とマクラギで出来た通路が今は跡形もない。



ここから下は2011年の三見駅の様子。
2011年06月29日撮影-1
 長門三隅駅は、三見駅と同様に旧米子鉄道管理局(今のJR西日本米子支社)の管理駅だったため、駅舎の造りがとても良く似ている。
ちなみに今は両駅共にJR西日本広島支社の管轄

丸型の郵便ポストがとっても似合う。

長門三隅駅も入ってすぐ左がこんな感じだった。

2011年06月29日撮影-2
 この切符を買う時に口を近づけたガラス窓の丸い穴がなんとも懐かしい。



2011年06月29日撮影-3
改札口の駅員さんの立位置のパイプ枠が残っていた。その向こうにあるベンチも懐かしい。
軒の造りも今では見られない。
この駅舎は重要文化財だと思う。

以前にも少し触れたが、1970年代にディスカバー・ジャパンという国鉄のキャッチフレーズがあり、ローカル線の旅が若者に人気を博し代表的なものが北海道の「愛国駅から幸福駅ゆき」の切符だ。

確か高校生の頃に友人が現地で買ってきてその切符をくれたのだが何処に仕舞い込んでいるかわからず未だに捜索中。
「硬券」という種類の切符だが、今のペラペラの切符と違って少し厚くて固い。

長くなりそうなので切符のことは次回に持ち越し・・・です。

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