杉山銀山と分校の跡

杉山川上流の狭い地域に、銀の採掘坑跡が残っているらしく、地図上に面白い名前が残っている。

2009年03月17日撮影-1
 こんな道を入っていくと・・・


2009年03月17日撮影-2
 途中、砂防堤があったり・・・


2009年03月17日撮影-3
 緩やかな流れがあったり・・・


2009年03月17日撮影-4
 もっと奥まで行くと・・・


2009年03月17日撮影-5
 きれいな川の瀬もあり・・・


2009年03月17日撮影-6
やっと 一つ目の看板が見えてくる。


2009年03月17日撮影-7
 上の説明看板を読みながら、下の地形図を見ると少し想像が広がる。
参考-位置図
金子家が勘場跡、勝屋谷に住んでいる勝屋さん、女郎屋敷跡があったり、お万淵があったり、昔の人の気配や生活が少し垣間見れる。




2009年03月17日撮影-8
 宗頭小学校杉山分教場(明治42年廃止ということは今から106年も前)

100年以上も前に杉山に住んでいた人たちが、どのような生活をして、ここで暮らしていたか色々と想像すると楽しい。


2009年03月17日撮影-9
昔の痕跡を残し、当時の人々や自然の気配を感じられるということは、とても楽しく、ありがたいことなのだと思う。

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