昭和の無煙化

昭和47年(1972年)3月に長門機関区にて「さよならC58」というイベントが開催され、さらに昭和51年(1976年)3月には「さよならD51」が開催されて山陰線からSL(蒸気機関車)が消えた。

当時までSLの煙は洗濯物は汚れるし、トンネルに入ると乗客の顔は黒くなるし、悪いことだらけのイメージだったが、今となっては懐かしいおおらかな時代だ。

昭和47年03月-1
 長門機関区、転車台横の風景


昭和47年03月-2
C58機関車 先頭部 


昭和47年03月-3
C58機関車 運転席部 




昭和47年03月-4
JNR(日本国有鉄道)のロゴ


上の4枚のSLの写真は、当時の長門機関区での撮影のモノ。

ここから下は、D51機関車の上り貨物列車が長門三隅駅を発車した時の様子。


撮影日時は不明だが、昭和48年頃だと思う。
よく見ると、下り線側から3番線(今は無い)に分岐する線路が分かる。
腕木式信号機の時代である。



木マクラギで作られた防護柵が懐かしい。
今は列車の向こう側に見えるバイパスへ向かう横断道路があるが、当時は道自体があぜ道だったと思う。(広田第二踏切付近)

貨物列車の最後部に連結された車両に、新聞や雑誌、郵便物が乗っていた記憶があるが、汽車が到着すると、本屋さん(白藤書店さん)が駅まで到着した月刊誌等を受取りに行かれていた風景を思い出した。


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