昭和45年のSL

昭和45年の冬だと思うが、三隅町公民館の前あたりから山陰本線の上り列車(SL)を撮影した記憶がある。

親父のカメラを借りて、いそいそと出かけて行き、気分はテレビのCMの「Discover JAPAN(ディスカバー・ジャパン)!」なのだ。

1970年(昭和45年)だったと思うが、an an(アンアン)やnon-no(ノンノ)と言う女性向けファッション雑誌が流行りだし、「アンノン族」という言葉が出現した頃、旅に出ることに憧れた時期がある。

世間は「大阪万国博覧会」に染まっていたが、私はラジオの深夜放送に染まっていた。
イージーライダーと言う映画が公開されて、私は深夜放送を聴くため、ラジオにかじりついていた時代だ。

今思うと、なぜ三隅町に住んでいて、深夜0時を過ぎると突然と「ニッポン放送」や「TBSラジオ」、「文化放送」がクリアな音で聴けたのかが不思議だ。
当時の電波状況(電波や電磁波の量が少なかった)や、周りの外国が深夜は放送を停止していたことが理由だと勝手に思っている。


昭和45年頃撮影?
上の写真は「SL」に興味があったわけでなく、漠然と「旅」に興味があった時期に撮影した1枚。

感傷的な時期だった気がする。


2007年04月14日撮影-1
2007年04月14日撮影-2
37年後に、似たような位置から撮影してみた写真だが、背景の山の形が同じに見えたことがなにより嬉しかった。

37年後に似たようなことをするとは思ってもいなかったことが楽しい。

当時のことの続きは次回にする。

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