広田から観る岳ノ山
二条窪川に沿って西側に聳える岳ノ山(343.9m)は二条窪集落を守るかのように稜線が連なっている。
その岳ノ山は「雨乞山」とも呼ばれていた。
寛文三年(1663年)の大干ばつの時に岳ノ山(当時の高山)山上の瀧神松という場所で十七日間の雨乞祈念をしたところ大雨が降ったと、いう記録があるようで、それ以後に「雨乞の嶽」と呼ぶようになったらしい。略して「嶽(だけ)」と呼ぶ方が今でもいらっしゃる。
その岳ノ山は「雨乞山」とも呼ばれていた。
寛文三年(1663年)の大干ばつの時に岳ノ山(当時の高山)山上の瀧神松という場所で十七日間の雨乞祈念をしたところ大雨が降ったと、いう記録があるようで、それ以後に「雨乞の嶽」と呼ぶようになったらしい。略して「嶽(だけ)」と呼ぶ方が今でもいらっしゃる。
(資料は「豊原のあゆみ」より引用)
「岳の観音」はここに由来しているのかもしれない。
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