その岳ノ山は「雨乞山」とも呼ばれていた。
寛文三年(1663年)の大干ばつの時に岳ノ山(当時の高山)山上の瀧神松という場所で十七日間の雨乞祈念をしたところ大雨が降ったと、いう記録があるようで、それ以後に「雨乞の嶽」と呼ぶようになったらしい。略して「嶽(だけ)」と呼ぶ方が今でもいらっしゃる。
(資料は「豊原のあゆみ」より引用)
「岳の観音」はここに由来しているのかもしれない。長門市東深川の旧街道(赤間関街道)沿いに「帰ル堤(かえるづつみ)」という溜め池がある。 現在の長門総合病院前の道筋を西に進み、緑ヶ丘にて国道191号線に沿うように街道を進むと直ぐに左手にため池が現れる。このため池はいつの頃からか「帰ル堤」と呼ばれ、そこに大きなエノキがあったらし...
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