豊原の辻
豊原の旧道にある四辻は、その北側で舟戸道へと繋がっていく。
そしてこの辻は赤間関街道北道筋として利用されてきた道でもある。
あえて「長惣旅館前分岐点」と言っても良さそうだ。
古くは街道であったことを意識して歩くと、思いがけない発見があるかもしれない。興味深くてとても趣きのある道だ。
古くは深川村の前身として前大津宰判の勘場として藩政に寄与していた舟戸付近より南下したこの道は、令和になった現在少し様子が変わろうとしている。
近いうちにその様子の変化を残そうと思っている。
【後記】
舟戸の積み場へ向かう道の入り口に在った「前大津宰判の勘場跡」の杭が最近無くなっている。何かわけがあるのであろう。
長門市役所旧本庁の自転車置き場の辺りに在った「前大津宰判の勘場跡」は舟戸から移された場所のようだ。やはり大津の中心は深川でないと不便だったようだ。
そしてこの辻は赤間関街道北道筋として利用されてきた道でもある。
2019年12月23日撮影-1 |
2019年12月23日撮影-2 |
2019年12月23日撮影-3 |
古くは深川村の前身として前大津宰判の勘場として藩政に寄与していた舟戸付近より南下したこの道は、令和になった現在少し様子が変わろうとしている。
近いうちにその様子の変化を残そうと思っている。
【後記】
舟戸の積み場へ向かう道の入り口に在った「前大津宰判の勘場跡」の杭が最近無くなっている。何かわけがあるのであろう。
長門市役所旧本庁の自転車置き場の辺りに在った「前大津宰判の勘場跡」は舟戸から移された場所のようだ。やはり大津の中心は深川でないと不便だったようだ。
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