東海道新幹線開業の頃

昭和39年の10月1日に東海道新幹線が開業した。
当時とっていた漫画雑誌に「夢の超特急」と描かれていたひかり号の艶々したイラストが記憶に残っている。


何かの雑誌から切り抜いたこの写真は、当時の国鉄総裁のテープカットのシーンだろう。

三隅に暮らしていた自分にとっては「新幹線」自体が別世界のような話で、目の前を蒸気機関車、つまり汽車が「ボッボッボッ・・」と走っている姿しか知らない時代の事だ。
そんな汽車に乗って下関に行けるだけで前夜は眠れなかったほど興奮していた。長門三隅から乗って長門市を過ぎ、行ったこともない駅名をひたすら覚えることに忙しく、帰りには油臭い車内で下関駅のホームで買った2個入りのゆで卵を食べるのが楽しみだった。激しい車酔いに悩まされていた自分が汽車やディーゼル車にはまったく酔わなかったことが不思議だ。

ところでこの東海道新幹線の開業の9日後(東京オリンピック開会日)にスタートした商品(新発売)を最近知った。
何かというと「ワンカップ大関」というカップ酒だ。
当時の日本種のイメージは・・・
一升瓶で特級酒、一級酒または二級酒といったランク分けがしてあり、ローマ字などもってのほかのデザインだったように記憶している。
この「SAKE」という標記にしろプルアップ式のキャップにしろすべてが斬新で、当時の酔っ払った大人たちのだらしない姿を振り払ってくれるようなイメージさえ持った。
ところがこの手軽さゆえに汽車の中でワンカップを片手にだらしない姿をさらけ出す大人たちも居たことも確かだ。
そういえば駅のキヨスクで売られていた風景も覚えている。

ワンカップ大関ではないが、「大関」というお酒のCMは結構好きだった。そう、加藤登紀子さんの歌にのっておいしそうに酒を呑む田宮二郎さんのCMだ。
「♪サケはぁ オオゼキ ココロイキ♪」

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