山歩きに思うこと

私の山歩きは基本的に地元の山で、低山ばかりの三隅や秋芳の山々は「登山」というには少し気が引けるために「山歩き」と表現した。
低山ばかり(200mから700m程度)と言いながら名峰と思っている山が多く、こんなに素晴らしい山々に囲まれた環境(毎日見れる)で暮らしていることに喜びを感じずにはいられない。(これも一種の山岳信仰かもしれない。)
2018年09月11日撮影

自分の「山歩き」のルーツを辿ってみると、それは確か1970年の終わりの頃だったと思うが当時の国鉄のキャンペーンで「ディスカバー・ジャパン」という、列車に乗って日本を再発見しよう、というような個人旅行を促すCMが始まり、中学3年生になった頃にそのCMにまんまと乗せられて一人で汽車に乗ったことに始まったように思う。
日常生活で「汽車に乗る」という習慣が無い田舎の生活で、汽車に乗って知らない街(町?)に行くこと、への期待感は緊張感をのりこえて膨らんでゆき、当時の国鉄提供の「遠くへ行きたい」(永六輔さんが日本全国を旅して名所の紹介やその土地の人々とふれあう番組)というテレビの旅番組にも影響を受け、日本の風景の見事さや美しさに心を奪われていった。国営放送の「新日本紀行」という番組も今思うと影響を受けていたように思う。
そして人々とふれあうことの苦手な私は独り歩きを始めてひたすら「風景」のすばらしさを山にも求めるようになり、昭和48年の「花尾山登山」及び昭和49年の「桂木山登山」をきっかけに「地元の山歩き」に興味を持つようになっていった。
昭和50年発行
この「登山読本」は昭和51年に高田馬場のBIG BOXの古本市?にて購入。
今はさすがに無いだろうが正面の階段を上ったところに古本市(ひょっとしたら「古本屋さん」かも)があり毎日のように古本を漁っていた記憶がある。

昭和51年発行
ところが当時の書店で手に入る地元の山の情報はほとんどなく、唯一の手掛かりは国土地理院発行の地形図のみで、その地形図すら地元では手に入らなかった。売ってある本や資料は上の写真のようなメジャーなものばかりで、行ったこともない土地の情報ばかりが頭に植え付けられていった。(それはそれで面白く読めたのだが。)
逆に情報の少ない当時だからこそ楽しかった部分も多くあるように思える。


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