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旧国道191号線の風景~土手

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三隅の中心地である土手地区は古くから役場や学校が在った地区で商業店舗も栄えていた。 此処(旧国道191号)の辺りを見るたびにこれらの写真にあるようなお店や、さらに古くには昭和38年の国体のパレードを思い出す。 2007年09月20日撮影 2008年01月08日撮影 2009年03月24日撮影  ここまでは粗10年以上前の風景。 2016年12月06日撮影-1 2016年12月06日撮影-2 三隅地区の旧国道は此処の土手にある「三隅踏切」と沢江地区の「沢江踏切」で山陰本線が跨いでおり、広域で見ると閉塞された区間でもある。しかしながら共にそれなりの素敵な風景を近辺に持っている踏切で、余裕のある目線で見ると踏切も情緒深く良いものである。

高砂山を眺める

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三隅の中小野(なかおの)地区の北側に日本海からの風を遮るように位置する山がある。その名を「荒平山」というのだが俗に「 高砂山 」ともいう。 2019年02月23日撮影 国土地理院の地形図には「高砂(386.7)」と記銘されているので「荒平山」が俗称かもしれない。 上の写真は南側から撮影したものだがこの山の北側を「萩・三隅道路」が貫いている。(ちょうど津雲トンネルの辺りか?) そして生島から久原へと流れていく「姫田川」の源流となっている。 (姫田川:三隅川の支流) 高砂山の南側正面に位置する「権現山」は標高560.4mである。 2018年09月28日撮影 国道191号と三隅川を挟んでいる2つの山が三隅平野を守っている感じがする。

旧国道191号線の風景~平野

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浅田と豊原に挟まれた平野地区は山陰本線と並行した国道を挟んで北側に広大な田園、南側に丘陵の拡がった見通しの良いエリアである。 上方から「広田(ひろた)」、「豊原(とよはら)」、「平野(ひらの)」、「浅田(あさだ)」とその地名だけでも広々とした三隅平野(みすみへいや)の情景が浮かび上がる。 2007年09月05日撮影-1 2007年09月05日撮影-2 2007年09月05日撮影-3 2007年09月05日撮影-4 2007年09月05日撮影-5 2007年09月05日撮影-6 2007年09月05日撮影-7 ここまでは12年前の風景。 2014年12月07日撮影-1 2014年12月07日撮影-2 2014年12月07日撮影-3 旧国道筋の両サイドに過去に在ったお店やガソリンスタンド、パチンコ店など、印象深い風景がここにはあったのだが今は小ざっぱりしてきた。 バイパスが出来てからはさすがに交通量は減ったものの見通しの良い町並みのおかげか今は民家や企業が増えてきているように思う。

亀山城跡のこと

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長門市街地のほぼ中心部にある小高い山があるが、その名前を「亀山」と言い、古城跡があるがために通称「城山(じょうやま)」と言われている。 以前にアップした写真で眺めてみる。 2014年08月25日撮影-1 2014年08月25日撮影-2 部分拡大 確かに「亀山」というだけあってカメのように見える。 標高45mのこの山は「注進案」では大内弘盛の居城とされているが、その根拠は乏しいとされ詳細は不明のままらしい。 古城山の山麓に長門市役所本庁舎があり、何かの縁を感じる。 2019年01月29日撮影-1 2019年01月29日撮影-2 上の写真のように本庁舎旧玄関前に「前大津宰判勘場跡」と碑が建っている。やはり何らかの繋がりがある様子が伺える。 (隣にある白い看板は頂けない(センスが無い?)と思うが外のやり方はなかったのだろうか?) 今現在は長門市役所本庁舎が建て替わろうとしている最中で、これらの風景はもうすぐ見ることが出来なくなる。

旧国道191号線の風景~沢江

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今回は仙崎湾に直に面した旧国道191号線の風景だ。 湾内が穏やかな南風の日に撮影するときれいに撮れることが多い。 ところでこの沢江地区の北を貫いている旧国道191号(現在の県道287号)は昭和25年から山陰県道を国道に昇格させる前提で整備が開始され、埋め立てを伴って2級国道に仕上がったようだ。その後昭和29年の台風による三隅町全体の大水害で河川改修が始まり昭和40年にほぼ改修工事が完了した。しかしながら舗装は未だされていない状態で昭和44年に完全舗装化された国道に仕上がっている。 その後半世紀近くが経過した姿が下の写真だ。 2016年07月23日撮影-1 2016年07月23日撮影-2 2016年07月23日撮影-3  沢江公会堂は絶対に外せない。 2016年07月23日撮影-4  沢江川の旧道側から旧国道をながめたお気に入りの風景。 2010年03月30日撮影 三隅町の西端に位置する沢江は風光明媚なエリアです。

旧国道191号線の風景~豊原

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三隅バイパスが出来て格下げ?された旧国道は県道287号線として残っている。しかしながら「北浦街道」という言い方に限って国道の続きのまま地図に残っている。 昭和時代より見慣れた風景が残っているうちに写真に収めておこうと思う。 今回はその旧国道の 豊原地区 の風景。 2007年05月21日撮影 2014年12月12日撮影-1 2014年12月12日撮影-2 2014年12月12日撮影-3 2014年12月12日撮影-4 2014年12月12日撮影-5 2014年12月12日撮影-6 注意深く見ないと現在との違いがはっきりと分からないがその風景は少しづつ変化している。 もうすぐ「平成」という言葉が過去のものになろうとしている。 [後記] 豊原地区の旧国道沿いは歩行者や自転車が通行するのがとっても困難であるほど自動車の通行量が多いように思う。路線バスは旧道を行き来するわけで、バイパス(国道191号)は観光バスのみが走っている。 それぞれの道路としての役割が顕著に表れているようだ。

時刻表にみる災害のこと

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時刻表の中身で、当然のことだが大きな災害があった後に掲載の様子が変わっている部分がある。 その一例を残しておこうと思う。 平成30年7月の豪雨災害の後の時刻表から ・・・ 2018年10月表紙 JRニュース欄 下の時刻表で薄くグレーで塗られている帯(区間)が災害による不通区間のエリアだ。 芸備線のページ 岩徳線のページ 時刻表にこのような部分は不要であるべきなのだが、災害列島日本はこれまでも数々の大災害や戦災をのり越えてきている。 しかしながらこのグレーゾーンが長く続くことがとっても不安で、そのうちに時刻表から無くなってしまうことが一番の心配事項だ。 災害ではないがBRT化で無くなりそうな宇部線のことも心配で、時刻表から消えてしまった三江線が頭の中を巡る。

時刻表の表紙の風景

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表紙が気に入った時だけ気ままに購入している「時刻表」を何年か前にすべて処分してしまった。今思うと表紙だけでもスキャンして残しておけばよかったと後悔している。 今手元に残っている何冊かをデジタル化してみたが、捨ててしまったものが余計に恋しくなってきた。 2012年10月表紙  背景の大山(中国地方の最高峰)が気に入って購入。特急やくもの姿がとっても気に入っている。 欲を言えば初代「まつかぜ」が走っていてほしい。 2017年3月表紙 何より思い出深い東海道新幹線の一番進化したN700A。 これを見て「0系」と「100系」を偲ぶ。 今思うと「500系」が一番ときめいたかもしれない。 2018年1月表紙 背景のハウステンボスが素敵でヨーロッパの一角のような風景。昔の中央線を想わすようなオレンジの車体が奇麗だ。 時々睡眠剤代わりに時刻表を眺めることがあるが本当に知らない町がたくさんあることに気づく。さらに鉄道のない町もあるわけでせめて時刻表の鉄路の世界だけでも旅することが出来たら、と思うことがある。 この時刻表は鉄道だけでなく、バス路線や航空ダイヤまで載っているものすごい情報雑誌?なのだが年齢を重ねるごとに読むのがつらくなってきた。しかしながらながめる程度でも楽しめる月刊誌でもある。 次回、中身のことも少し残しておきたいと思っている。

「エルヴィス・イン・ハワイ」の思い出

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今調べてみると1973年(昭和48年)1月14日の日曜日の夕方のことだったようだ。 レコードジャケット(表) まだ中学2年生でいがぐり坊主頭の自分は、その何日か前に同級生の二人と放課後に大盛り上がりの会話をしていた。 「知っちょるか?、プレスリーのライブが衛星生中継でテレビで見られるって知っちょるか?」 レコードジャケット(裏) その何日か前からテレビでしきりに「エルヴィス・イン・ハワイ」が生中継で放送されることを知らせてくれていた。それも日本では今で言うゴールデンタイムの放送時間だ。 衛星生放送の仕組みはまったくわからんが、スゲーことがテレビで見れるようだ。ましてや「エルヴィス・プレスリー」のことはラジオでしか聴いたことがなく当時のFM雑誌(FMファン)でチラッと記事を見ただけの知識だ。 当時の自分はラジオの深夜放送にぞっこんで糸井五郎さんの紹介するポップスに嵌りきっていた時代だった。 放送されたのはKRY山口放送だったように思うがNHKだったのかもしれない。もしテレビ山口(TYS)だったら開局して3年目のことだ。 当時の三隅町のテレビのチャンネル状況はNHK総合、NHK教育、KRY山口放送(日本テレビ系列)、TYSテレビ山口(TBS系列)の4局だけで1970年(昭和45年)頃に出来たTYSはUHFコンバーターを取り付けて「21チャンネル」という中途半端なチャンネルを3チャンネルで変換して観ていた。 どうでも良いことばかり覚えていて肝心の放送局が分からない。 寒い季節になると時々こんなことを思い出す。 [後記] この衛星生放送は、世界初の同時生中継で36か国に配信され15億人が視聴したと記録されている。 レコードの帯は「エルヴィス・イン・ハワイ」となっているが当時の雑誌には「アロハ・フロム・ハワイ」と書かれたものがある。 後から知ったことだがこれはホノルルで企画された慈善コンサートだったようで収益金の中から7万5000ドルを癌基金に寄付したと記録されている。

花粉が飛ぶ

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自分は花粉症で今はとってもつらい季節なのです。 (このブログを書きながらも目が痒く体調も優れない。) そこで昨年から思っていることを書き残しておこうと思う。 昨年も少し書いたように思うが・・・ 日本古来の在来種の杉の花粉はアレルギーが出ないのではないか? 輸入されて植樹された外来種のスギだけが今の時代にアレルギーの素になっているのではないか? 高度成長期のマイホーム建築ブームで建材が不足してたくさんの輸入されたスギの苗木が1990年代ごろ(1980年代後半?)から成木となって花粉をまき散らしている。 そしてもう一つ思うことが下の写真に表れている。 2018年03月02日撮影-1 何かというと山のふもとに近い場所に花粉を蓄えたスギが並んでいることだ。赤茶色のスギの実が色づくのではっきりとわかる。 下の写真でもスギが植えられている場所がはっきりとわかる。 2018年03月02日撮影-2 これらの花粉が風で飛散して生活圏に巻き散らかされているわけだ。 その裏付けとなることが割と高い山に登るとそんなに目が痒くないように思う。 2018年03月02日撮影-3 一度、森林関係者と学者が協力して輸入のスギを伐採して花粉症の無いエリアを造ってみてはどうか?と思うことがよくある。 又は花粉症の発生しない町をつくると居住者が増えるのではないか? とか妄想が止まらないほど花粉症に悩まされている。

広田の山陰本線

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三隅の平野部を山陰本線が貫いている。その地名も「広田」という。 2016年11月02日撮影  長門三隅より萩へと向かうその線路はきれいな曲線を描き田畑を貫いて行く。 2017年06月18日撮影 2017年11月05日撮影 2019年02月12日撮影-1 2019年02月12日撮影-2 2019年02月12日撮影-3 2019年02月12日撮影-4 遡ってみると95年も前に敷かれた鉄路なのだが、辺りの風景は変わっても鉄路の軌跡はそのままのはず。 昨年だったか鉄橋の塗装がオーバーホールされていた。さらにレール交換や道床交換を繰り返し現在に至っている。実に感慨深い。 いつまでもこの風景がありますように。 [後記] 先月だったか、JR宇部線が「バス高速輸送システム化」を検討されている、というニュースを聴いた。単線ながら電化区間でこのようなことをされては山陰本線の単線非電化区間はもっと危ない!とすぐに思い、居ても立っても居られない心持になった。 これは人ごとではないぞ!