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7月, 2019の投稿を表示しています

夏空~その2

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前回に続いて「夏の空」をテーマにした写真の続き。 今回は沢江地区から上ゲ地区の辺りを散策。 2019年07月27日撮影-1  沢江トンネルを抜けてすぐに 岳ノ山 が聳える風景が目に飛び込んでくる。いい感じに入道雲が出てきた。 2019年07月27日撮影-2 2019年07月27日撮影-3  刻一刻と入道雲が姿を変えてくる。 2019年07月27日撮影-4 遠くに見える 浅田小学校 の校舎が郷愁をそそる。 画にしたいような風景だ。 2019年07月27日撮影-5 向日葵の背景は 鉄割山 だ。 上ゲの田園地帯から観る鉄割山は絶景だ。 2019年07月27日撮影-6 2019年07月27日撮影-7 最後は豊原から観る久原山。きれいな雲がかかってきた。 今日は夕立が来るかも?と思いながらひたすら歩く。風があるせいか思ったより暑く感じない。 ところが捲った腕がヒリヒリしてきた。 [後記] この日の夜、夕立のような強い雨が降った。夕方なら「夕立」と書けたのにちょっと残念である。日本の夏を満喫?できるような蒸し暑い夜で、我慢をしてまで風流を楽しもうとも思わない。 そして夜中、エアコンの効いた涼しい部屋で嗜む音楽は歌謡曲でもなくポップスやロックでもなかった。

夏空~その1

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梅雨が明けてとっても 夏らしい空 になってきた。 そこで「夏の空」をテーマに写真を撮っていった。 2019年07月27日撮影-1 2019年07月27日撮影-2 2019年07月27日撮影-3 2019年07月27日撮影-4 2019年07月27日撮影-5 2019年07月27日撮影-6 今回は浅田地区から沢江まで。 午後の天気予報を知って、入道雲を目当てに歩いたがなかなか巡り合えない。 真っ白な積乱雲が果てから上がってくることを期待していたが思い通りにはいかないものだ。 それにしてもいい景色だ。 [後記] 道路を歩いていると、ことごとく車の運転手がこちらを見ていく。 暑い中をテクテク歩いていることが不思議そうな顔つきだ。 そういえば他の歩行者には全く会わないしすれ違うこともない。やはりメディアによる熱中症や日射病などの過剰な注意が功を奏しているせいであろう。 注意するに越したことはないが、昔はもっと暑い夏でも外で人がうごめいていたように思う。 昭和の時代より気温が高くなってきている?ようだがウォーキング以外で路上で人と会うことが少なくなった。高齢化したせいもあるし親が子供を外に出さなくなったようにも思う。 少し寂しくもある。

列車のある風景

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単純に列車を撮影した何の変哲もない普通の写真だが、通り際に車内を見ると結構多くの乗客が乗っていらっしゃる様子。 ガラガラの列車かと思いきやそうではなかった。 2019年06月06日撮影 2019年07月11日撮影 2019年07月24日撮影-1 2019年07月24日撮影-2 1両のマッチボックスのような車両だがなんと山陰本線なのだ。遠くから見ると「おもちゃ」の様に見える。 山陰本線の益田~幡生間はこのような風景ばかりだ。1970年代だったらディスカバー・ジャパンのブームで大人気の路線になっただろうが今はそうはいかないようだ。 そして・・・ 特に用もないのに乗りたくなった。上り列車で終着駅まで行ってみようか、と思うがなかなか行動に移せないでいる。

城山踏切のこと

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長門市駅構内の西側に「城山踏切」という美祢線と山陰本線の両方が跨ぐ踏切がある。 2014年05月29日撮影-1 2014年05月29日撮影-2 この踏切はその昔、長い車両(8~10両編成)や貨物列車があった頃には入替作業でも遮断機が降りていて、列車本数の多かった時代には本当に開かずの踏切であった時間帯があったと記憶している。 蒸気機関車が警笛を街中に響かせて入替をする姿を朧気ながら覚えている。そしてその頃に城山踏切の傍に「 踏切番舎小屋 」があって、踏切番の方が手回しハンドルで遮断竿を昇降させていた、という記憶がある。 今のような左右から下りてくる遮断機ではなく、上からゲートが降りてくるような装置。 (以前にも書き込んだことがあるが・・・もう一度!) そして美祢線と山陰本線の間にもう一本の線路(入替用の引き込み線?)があって、踏切道にまたがって道路を遮断していた。 2014年05月29日撮影-1の説明書き ばい煙だらけのすすけた暗い風景の中で、きちんとした動作で連絡を取り合って遮断されていた、という記憶だ。 そして踏切の周りにはたくさんのお店が並んでいて夕方にもなると列車の通過を待つ人々であふれていた。 昭和40年代初頭のことだ。 昭和58年?の頃にも同じような風景を広島駅構内で見て懐かしく眺めたことがあった。

蜜柑の木に

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毎年のことだが今年も我が家の蜜柑の木にクマゼミが這い上がってきた。台風5号でこの日に延期された 仙崎花火大会 の打ち上げ花火の音が聞こえだした頃の時間だ。 2019年07月22日撮影-1  すでに切り落とした枝の先端まで這い上がっていた。 2019年07月22日撮影-2  サナギから抜け出したばかりのクマゼミの羽は本当にきれいである。 そして次の日の朝・・・ 2019年07月23日撮影-1  空は霧雨の状態で、雨のせいか、気温が低いせいかわからないが明け方は未だ飛び立っていなかった。少しづつ木の上部に移動している。 2019年07月23日撮影-2 小学生の頃の夏休みの生物観察日記のようになってしまったが、今の時代であるからこそこのような写真が素人でも撮れるわけだ。 このような光景は毎年のように見ているが、自分が本当に見たいのは産卵の姿と幼虫が土の中に潜っていく姿なのだがなかなか見せてはくれない。 [後記] セミを間近で見るとすぐに思い出すのが バルタン星人 だ。昭和41年?だったか初めて白黒テレビで見たバルタン星人の姿と笑い?声は今でも忘れられない。「フォッ フォッ フォッー」という鳴き声か笑い声で消え隠れする忍者のような強烈な姿は脳裏に貼りついて消えない。 バルタン星人のモデルはクマゼミではなくアブラゼミだと思っている。 姿と顔はセミで、両手はザリガニのようなハサミなのだが考案者は素晴らしい感性の持ち主であることは間違いない。 いつかウルトラマンのことは腰を据えて書き残したいと思っている。

梅雨空の下

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台風5号の強風が収まった頃、東方辺りは蜩が鳴き始めた。 (東方:「とうぼう」と読み、三隅川下流域にある集落のこと) 2019年07月21日撮影-1 上東方から岳ノ山を臨む  2019年07月21日撮影-2 下東方の三隅川流域  2019年07月21日撮影-3 ガードレールのある道-1  此処のガードレールは対岸から観ると川面に映り込むオレンジ色がきれいでお気に入りの場所だ。 2019年07月21日撮影-4 ガードレールのある道-2 冬場に群がっていたマガモやオオバンがエサが無いせいかすっかり姿を見せなくなった。 代わりに川面はボラやセイゴが流れに逆らって泳ぐ波紋が見られるようになった。濁っていない日はチンの姿も見られる。 (チン:クロダイの地元の言い方。クロダイの幼魚をチンチンと言ったりメイタと言ったりするが三隅では大きさにかかわらず「チン」と言う。関東ではカイズ、西日本ではチヌと言ったりもする。) 若いころに感じなかった季節の変化に敏感になってきている。これは寂しいことの様にも思える。

12年前の湯免ダム

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2007年の12月に撮影した湯免ダムの写真を見て妙な建造物が気になった。現在も有るのだが雑木が邪魔をして見づらいので過去の写真で確かめた。 2007年12月15日撮影-1 上の写真の部分拡大 この見晴らし台?か物見やぐらのような建造物は何だろう? さらに 湯免ダムのパンフレット表紙にも別の正体不明の建造物が写っていた。 パンフレット表紙 パンフレット表紙の部分拡大 こちらの建造物も分からない。なんだ?これは! ところで12年前の風景は、というと・・・ 2007年12月15日撮影-2 2007年12月15日撮影-3 2007年12月15日撮影-4 やはり湯免ダムは眺めが良い。 主要道のすぐ傍でこのような環境があることが素晴らしい。

大雨の後

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梅雨前線の北上で山陰側に久々の大雨が降った。 此処、三隅では1か月以上も町を湿らす程度の雨しか降っておらず、梅雨にもかかわらずカラッからの状態だったように思う。 豪雨災害が発生した地域の雨が半分でも山陰に降ってくれれば、と思ったりもした。 2019年07月18日撮影-1 2019年07月18日撮影-2 これらの写真を見ると 川の色 が土砂の流出の色ではないような気がする。カビを洗い流したような、または汚れが滲んだような色をしている。 今回の大雨で支流や溝にたまった 汚れが洗い流された ような色をしている。土砂で濁った場合はもっと焦げ茶色で、この写真のような苔交じりの薄緑がかった色とは違った色をしている。 多分これで三隅川流域が少しは汚れが落ちてきれいになるかもしれない。 この後、 台風5号 の被害が無ければよいが。 本日(20日)夜に予定されていた仙崎花火大会は、22日(月)に延期となったようだ。これが一番の被害かもしれない。 ところで下の写真を見ると、大雨の後の小雨状態の風景も悪くない。 2019年07月18日撮影-3 三隅町役場の建屋が無いことが少し寂しいが、シンボリックな写真である。 それにしても背景の権現山は、この角度から見ると頂上の位置がわからない。560m地点のピークはどれだろう? (たぶん3つ見えるピークの一番右だろうと思う。)

三隅生活センター

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2009年の2月だったと思うがJA三隅支所近くの無人精米機に米を搗きに行った時のこと。 当時農協にお勤めの方が「もうすぐ店じまいするんよ。寂しゅうなるね。」というような話をされた。 農協の敷地内?にある「 三隅生活センター 」という小さなショッピングセンターが閉店しようとしていた。 自分としてはこのような地元に密着したお店がけっこう好きであったのでびっくりしたことを覚えている。 下の写真はその何日か?後の晴れた日に撮影したものだ。 2009年03月15日撮影-1 2009年03月15日撮影-2 2009年03月15日撮影-3 大手のスーパーマーケットとはちょっと雰囲気が違って、昔の「 物資部 」のようなイメージが強いお店だった。 10年以上経ったが建物は未だ残っている。

最近のバス停に変化が!

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最近になってバス停に少し変化がみられる。 2019年07月10日撮影-1 2019年07月10日撮影-2  このようなシールが貼付されている。 「野波瀬入り口」バス停のもの これは何かというと・・・ シールの中のQRコード(まだらの四角コード)にスマートフォンやタブレットでコードを読み取るアプリを起動してかざします。 そうすると上のような画面が表示されます。 次のバスやその後のバスが何分後に到着するか、わかるようになっています。  そのバスをタップすると下のような画面に変わります。 「三隅中学校前」バス停の場合は下のようになります。 三隅中学校前-1 三隅中学校前-2 ところでこの運行情報システム?だが・・・ ほぼ毎日定時に運行されているバスは問題ないが、自然災害や事故などの異常時の場合は便利かもしれない。 いつも利用しているバス停の情報をブックマークしておくと家に居ながら運行の遅れをチェックできるようになるかもしれない。 例えば台風などの災害時に、来るか来ないかわからないバスをバス停でじっと待っていることが避けられるようになるかもしれない。 そう思うとこのシステムは便利だと思う。 問題はこのシステムの信頼度だ。 さらに異常時にインターネットにつながるかどうかにかかっている。 よくテレビで、災害発生時に「被災地の皆さん・・・」という呼びかけなどの放送を見るが、被災地の方々は見れないように思う。

蛻の殻

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毎年夏休みが始まる前頃から蜜柑の木や柿の木にセミの抜け殻が目に付くようになる。 2019年07月13日撮影 上の写真の部分拡大 柿の木に付いていたニイニイゼミの抜け殻。 「もぬけの殻」という言葉があるが源氏物語の中でも使われたことがある言葉のようで、セミやヘビの抜け殻のことなのだ。 「もぬけ」=「蛻」と書くらしい。 この「もぬけた張本人」はどこにいるのだろう? 夕刻には裏山からヒグラシが鳴きだした。 もうすぐアブラゼミやクマゼミも姿を見せるだろう。 里山の大合唱は暑さを倍増させる。