城山踏切のこと
長門市駅構内の西側に「城山踏切」という美祢線と山陰本線の両方が跨ぐ踏切がある。
この踏切はその昔、長い車両(8~10両編成)や貨物列車があった頃には入替作業でも遮断機が降りていて、列車本数の多かった時代には本当に開かずの踏切であった時間帯があったと記憶している。
蒸気機関車が警笛を街中に響かせて入替をする姿を朧気ながら覚えている。そしてその頃に城山踏切の傍に「踏切番舎小屋」があって、踏切番の方が手回しハンドルで遮断竿を昇降させていた、という記憶がある。
今のような左右から下りてくる遮断機ではなく、上からゲートが降りてくるような装置。
(以前にも書き込んだことがあるが・・・もう一度!)
そして美祢線と山陰本線の間にもう一本の線路(入替用の引き込み線?)があって、踏切道にまたがって道路を遮断していた。
ばい煙だらけのすすけた暗い風景の中で、きちんとした動作で連絡を取り合って遮断されていた、という記憶だ。
そして踏切の周りにはたくさんのお店が並んでいて夕方にもなると列車の通過を待つ人々であふれていた。
昭和40年代初頭のことだ。
昭和58年?の頃にも同じような風景を広島駅構内で見て懐かしく眺めたことがあった。
2014年05月29日撮影-1 |
2014年05月29日撮影-2 |
蒸気機関車が警笛を街中に響かせて入替をする姿を朧気ながら覚えている。そしてその頃に城山踏切の傍に「踏切番舎小屋」があって、踏切番の方が手回しハンドルで遮断竿を昇降させていた、という記憶がある。
今のような左右から下りてくる遮断機ではなく、上からゲートが降りてくるような装置。
(以前にも書き込んだことがあるが・・・もう一度!)
そして美祢線と山陰本線の間にもう一本の線路(入替用の引き込み線?)があって、踏切道にまたがって道路を遮断していた。
2014年05月29日撮影-1の説明書き |
そして踏切の周りにはたくさんのお店が並んでいて夕方にもなると列車の通過を待つ人々であふれていた。
昭和40年代初頭のことだ。
昭和58年?の頃にも同じような風景を広島駅構内で見て懐かしく眺めたことがあった。
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